「アンドレア・ドウォーキン」の版間の差分

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m (画像および、日本版の著書について追加。)
1960年代から平和運動や[[アナーキズム]]に関わるが、[[左翼]]の中にもひそむ女性への暴力に気づく。[[オランダ]]に渡り、結婚生活を送るが、夫からの暴力を受け、1970年代初頭より[[ラディカル・フェミニスト]]として活発に活動するようになる。[[ポルノ]]や売春の暴力性を訴え、[[キャサリン・マッキノン]]とともに反[[ポルノグラフィ]]運動を行う。文芸批評においても、男性作家達がレイプや性暴力をエロティックに肯定していると糾弾した。
 
[[ラディカル・フェミニズム]]を象徴する人物であるが、その急進的な主張には反フェミニズムのみならず[[リベラル・フェミニズム]]からも批判を受けている<ref>例えばA. SnitowとP. Califiaの『ポルノと検閲』やN. Strossenの『ポルノグラフィ防衛論』を参照。</ref><ref>[http://clinamen.ff.tku.ac.jp/CENSORSHIP/Porn/porn_art_2.html ポルノをめぐる諸問題ーー反ポルノ派フェミニズム批判]</ref>。その一方で共感や支持も少なくないのも確かである<ref>{{cite web|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/article381977.ece|title=Right hails Dworkin sex campaign|date=2005年 |accessyearaccessdate=2009年|accessdate=9月12日 |author=Sarah Baxter}}</ref>。
 
晩年は[[変形性膝関節症]]や[[血栓]]などの病気に悩まされ、[[2005年]]に[[ワシントンD.C.]]の自宅で睡眠中に[[心筋炎]]により死去した。
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