「マリー・フォン・ヴュルテンベルク (1799-1860)」の版間の差分
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[[ファイル:Marie Wurttenberg 1799-1860.JPG|thumb|ザクセン=コーブルク=ゴータ公爵夫人マリー]]
'''マリー・フォン・ヴュルテンベルク'''('''Marie von Württemberg''', [[1799年]][[9月17日]] [[コーブルク]] - [[1860年]][[9月24日]] [[ゴータ]])は、[[ドイツ]]・[[ヴュルテンベルク王国]]の王族で、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ]]公[[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト1世]]の2番目の妻。全名はアントイネッテ・フリーデリケ・アウグステ・マリー・アンナ
ヴュルテンベルク王[[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク王)|フリードリヒ1世]]の弟[[アレクサンダー・フォン・ヴュルテンベルク (1771-1833)|アレクサンダー]]と、その妻でザクセン=コーブルク=ザールフェルト公[[フランツ (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)|フランツ]]の娘[[アントイネッテ・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト|アントイネッテ]]の間の第1子、長女として生まれた。幼児期は[[バイロイト]]の[[ファンタジー宮殿]]に暮らしたが、父がロシア軍に勤務するようになったため家族で[[ロシア帝国]]領に移住し、ミタウ(現在の[[イェルガヴァ]])と[[サンクトペテルブルク]]の邸宅を行き来しながら育った。
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