「ゴンサーロ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ」の版間の差分

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[[ファイル:Infante Gonzalo de Borbón.jpg|thumb|right|スペイン王子ゴンサーロ]]
'''ゴンサーロ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ'''('''Gonzalo de Borbón y Battenberg''', [[1914年]][[10月14日]] [[マドリード]] - [[1934年]][[8月13日]] [[ペルチャッハ・アム・ヴェルターゼー|ペルチャッハ]])は、[[スペイン]]の王族、[[インファンテ (称号)|スペイン王(Infante de España)]]。スペイン王[[フアン・カルロス1世 (スペイン王)|フアン・カルロス1世]]の父方の叔父にあたる。全名はゴンサーロ・マヌエル・マリア・ナルシオ・アルフォンソ・マウリシオ(''Gonzalo Manuel María Bernardo Narciso Alfonso Mauricio'')。
 
スペイン王[[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]と王妃である[[バッテンベルク家|バッテンベルク]]公女[[ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ|ヴィクトリア・ユージェニー(エナ)]]の間の末息子(第7子、五男)として生まれた。母は[[イギリス]]の[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]女王の孫娘の1人だったが、女王に起因する[[血友病]]の保因者でもあったため、ゴンサーロと長兄のアストゥリアス公[[アルフォンソ・デ・ボルボーン・イ・バッテンベルグ|アルフォンソ・ピオ]]は血友病を抱えて生まれた。1931年4月にスペインに[[スペイン第二共和政|共和政府]]が樹立されると、家族とともに国外に脱出し、[[パリ]]や[[フォンテーヌブロー]]で亡命生活を送った。本来の入学予定先だった[[マドリード・コンプルテンセ大学]]への入学を断念し、1933年に[[ベルギー]]の[[ルーヴェン・カトリック大学]]工学部に入学した。