「富川春美」の版間の差分

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* [[1985年]][[4月5日]]に『[[夕やけニャンニャン]]』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」のオーディションに出演、会員番号12番の[[河合その子]]、13番の[[内海和子]]と共に合格し、[[おニャン子クラブ]]の会員番号14番となる。(夕やけニャンニャンの前身である「オールナイトフジ女子高生スペシャル」に応募したものの書類の受付期限が間に合わず同番組へは出られなかったが、プロデューサーの目にとまり、夕やけニャンニャンのオーディションを受けるように勧められた。)
* 番組初回から最終回まで在籍(※)した唯一のメンバーであり、[[片岡鶴太郎]][[命名]]の「お富さん」の愛称で親しまれた。(※ 厳密には第一週は在籍でなく出演。また後述の「5か月の空白」があり、実質的な最長出演者は[[城之内早苗]]である。)
* 早い段階からソロデビューが決まりレコーディングも行っていたが、。しかし直後に学校側からテレビ出演禁止令によが下り、曲自体がお蔵入立ち消えとなってしまい、たほか年明けからの半年間『夕やけニャンニャン』の出演自粛を余儀なくされる。(余談だが、[[石橋貴明]]も彼女の事をイチ押ししており、「[[内海和子]]をソロで出すなら、春美に倍金かけても良い。」と言っていた。)
* 1986年の1月より番組から姿を消し、その間、何のアナウンスもされなかったことから、「第二の[[週刊文春喫煙事件]]による降板か」と思われた。ただしこの休業は「夕ニャン」を含むテレビ出演に限られていた。[[1986年]]の3月から[[4月1日]]にかけて行われたツアー「おニャン子のあぶな~い課外授業」にはリハーサルから参加しており、ステージ上や舞台裏でおニャン子の一員として自然に活動する姿がDVD「バックステージ」に収められている。<br />しかし5か月後、当日の日直(司会)の永田が「今日から仲間が帰ってきました。お帰りなさい。」と紹介、「ただいま、戻りました。」と復帰を果たした。
* 中期の頃になると、曲のフロントボーカルを務め、初期メンバーのほとんどが卒業した1987年4月以降は、城之内や[[永田ルリ子]]と共にメンバー全員を引っ張り、リーダー的な役割をこなすことが多かった。