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== 概要 ==
かつて宇部市周辺においては、宇部時報社が発行する'''宇部時報'''や'''ウベニチ新聞'''のほか、最盛期には8紙の[[地方紙]]が発行されていた。その後合併や廃刊を経て、宇部時報とウベニチ新聞の2紙(いずれも[[夕刊紙]])のみが残っていたが、
現在は、[[山口県]][[宇部市]]と[[山陽小野田市]]、[[山口市]][[阿知須町|阿知須地区]]を中心に発行しており、宇部日報社の本社所在地である宇部市と山陽小野田市の2市および山口市阿知須地区を中心とした地域情報を掲載する。発行は夕刊のみで、日曜祝日が休刊日となっている。ラテ欄は夕方6時から深夜までのテレビ番組表を最終面に、翌朝から翌夕までのTVと発行日の夕方のラジオ表を中面掲載している。
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== 歴史 ==
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** [[9月25日]] - 紀藤閑之介が社主、脇順太が社長となって法人を設立し、有料紙となる。
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* [[1949年]](昭和24年)
** [[5月]] - 脇昂が代表取締役となって株式会社化。紙面が現在の大きさとなる。
** [[10月15日]] - 宇部時報記者・編集局長の藤井清とその友人らが中心となり、「日本一小さな新聞」'''ウベニチ'''(後の'''ウベニチ新聞''')が週刊紙として創刊。紙名は「宇部の日曜新聞」という意味から付けられた。当時は、宇部市近郊において宇部時報や夕刊新宇部など8紙が発行されていたほか、本社所在地である宇部市の琴芝駅通り周辺には朝日新聞、毎日新聞、中国新聞、西日本新聞などの支局・通信部があり、激戦区となっていた。
** [[12月]] - ウベニチ新聞社が株式会社化し、その後ウベニチ新聞が日刊となる。
* [[1950年]](昭和25年)
** ウベニチ新聞社が小野田支局(当時の[[小野田市]]、現・[[山陽小野田市]])、床波支局([[宇部市]][[西岐波]])を開設。
** 藤井清の死去に伴い、藤井孝明が2代目ウベニチ新聞社社長に就任。
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== 事業拠点 ==
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