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戦時中の応召張り出しについての追加
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もともと[[大関]]・[[関脇]]・[[小結]]は東西に1名ずつで計2名と決まっていたが、近代になってその地位にふさわしい成績を挙げた力士がいた場合は東西1名ずつにこだわらないようになった。しかし、番付表の作成に当たっては慣例として、通常の部分には東西1名ずつしか載せなかったため、同じ地位に3人以上の力士が出た場合、通常は長方形である番付表の枠を出っ張らせ、3人目以降はその部分に四股名を載せるようになった。それが番付表から「張り出して」見えるため、その部分に載った力士のことをそれぞれ「張出横綱」「張出大関」などと呼ぶようになった。それに対して、通常の部分に載った力士は「正横綱」「正大関」などと呼ばれた。同じ地位の中では「正~」が上位、「張出~」が下位である。
 
また、[[公傷]]制度]]が適用されていたころの一時期には休場した力士は同じ地位の張出とする規定があったため前頭以下も番付表から張り出されたこともあった。戦時中にも、兵役についたために本場所の出場が不可能な場合も欄外に張り出したことがあったが、これは軍の機密にふれるということで、ある時期から記載されなくなった。
 
平成13年7月場所より同じ地位に3人以上の力士が出ても番付表から張り出さず、通常の部分に連記されることになったため、現在の制度としては「張出」は存在しない。しかし、昔からの相撲ファンは今でも、同じ地位で最上位の力士を「正~」、次位以降の力士を「張出~」と呼んでしまう場合がある。