「神田事件 (将棋)」の版間の差分

出典の内容に忠実にTokugawa yodomaru (会話) による ID:42532304 の版を取り消し
(出典の内容に忠実にTokugawa yodomaru (会話) による ID:42532304 の版を取り消し)
 
=== 再統一 ===
花田、金子の両八段を欠いては名人戦が有名無実に近く、ファンも納得しないと思われた<ref name="s100"/>。最も頭を痛めたのは関根名人で、中立の立場を取ってはいたものの、花田は弟子で、金子は孫弟子であった<ref name="s100"/>。関根は[[木村義雄]]八段と[[山本樟郎]]七段を帯同し、将棋界を去ってから45年になる兄弟子・[[小菅剣之助]]八段に仲裁を頼み込みにいく<ref name="s100"/>(山本は小菅の弟子)。小菅は、すでに実業界・政界からも退いて[[三重県]][[四日市市|四日市]]に隠居していたが、将棋界から離れて久しいため事情に疎く自信がないとし、当初は拒んだが、ついに関根の懇請に動かされる<ref name="s100"/>。
 
かくして、関根と72歳の小菅の尽力により[[1936年]][[6月29日]]、東京・上野公園「[[精養軒]]」にて手打式が行われ、再統一が実現した<ref name="s100"/>。
 
この結果、連盟と関西の十一日会の棋士も参加した統一組織となり、名称は関根と小菅によって将棋大成会と命名された<ref name="s100"/>。また、神田と萩原の八段昇段を認め、名人戦リーグは続行されることとなった。ただし坂田三吉1名だけは将棋大成会に加わらなかった。
4,435

回編集