「ラオスの歴史」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
Kitazume Midaki (会話 | 投稿記録) |
||
130行目:
=== ラオス王国の独立 ===
[[File:Sisavangvong.JPG|thumb|170px|ラオス王国独立時の国王シー・サワンウォン]]
[[ラオス王国]]は[[
一方、ラオ・イサラ亡命政権は親仏派とベトミン共闘派に分裂した。右派の[[スワンナ・プーマ|プーマ王子]]王子らはヴィエンチャンに戻りフランス支配下のラオス王国政府に参加し、親フランスのピブン政権を発足させた。一方、左派の[[スパーヌウォン]]王子らは[[1950年]]8月、[[パテート・ラーオ]]政府を樹立し、抗仏闘争を宣言した。[[1951年]]には[[カンボディア]]、ベトナムの[[ホー・チ・ミン]]一派の抗仏組織らと「インドシナ合同民族統一戦線」を結成、対仏ゲリラ闘争を開始した。
|