「女鳥羽川」の版間の差分

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=== 水運 ===
[[File:Metoba river & Tagawa river.jpg|thumb|right|300px|女鳥羽川と田川の合流地点。この画像の右側に「犀川通船船着場跡碑」がある。この日の女鳥羽川には泥濁りがあった。2012年3月21日撮影]]
[[File:Tusen-hi2.JPG|thumb|right|300px|女鳥羽川と田川の合流地点に建てられている「犀川通船船着場跡碑」]]
[[1832年]]([[天保]]3年)に、[[筑摩郡]]白板村の折井儀右衛門が許可を受けて[[犀川通船]]事業を始めた<ref>塚田正朋『長野県の歴史』[[山川出版社]]、1974年5月、176ページ</ref>。[[松本藩]]では女鳥羽川と[[田川]]の合流点に船会所を設けた。[[明治]]時代になると、折井氏の独占権がなくなり、いくつかの通船会社ができた。通船の発着所は、一時は女鳥羽川の千歳橋付近に移されたこともあった。[[1902年]](明治35年)に[[篠ノ井線]]が開通すると、松本からの通船は廃止された。[[1968年]]、女鳥羽川船着き場の対岸に「犀川通船船着場跡碑」が建立された<ref>『松本まるごと博物館 ガイドブック』松本市立博物館、128ページ</ref>。