「ドナルド・ダック・ダン」の版間の差分

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== 概要 ==
1960年頃より[[スタックス・レコード]]の専属プレイヤーとして[[オーティス・レディング]]、[[サム&デイブ]]、[[ウィルソン・ピケット]]、[[アイザック・ヘイズ]]、[[エディ・フロイド]]、[[カーラ・トーマス]]、[[アルバート・キング]]等のレコーディングやツアーをサポート。<br />
 
701970年代にスタックスを離れてからは現在まで[[フレディ・キング]]、[[エルヴィス・プレスリー]]、[[デュアン・オールマン]]、[[ロッド・スチュワート]]、[[リヴォン・ヘルム]]、[[トム・ペティ]]、[[ボブ・ディラン]]、[[エリック・クラプトン]]、[[忌野清志郎]]、[[マディ・ウォーターズ]]、[[ニール・ヤング]]等のレコーディングやバンドに参加している。<br />
 
また、パーマネントバンドとしては[[ブッカー・T&ザ・MG's]]、[[ブルース・ブラザーズ]]で活動。
 
== 生涯 ==
[[1941年]][[11月24日]]、[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]に生まれる。10歳のときに[[ウクレレ]]を手にし、小学6年生のときに同地に引っ越してきた[[スティーヴ・クロッパー]]と知り合いになる。<br />
 
16歳のときに[[ベース]]を手にしスティーヴやテリー・ジョンソンらとザ・ロイヤル・スぺーズというバンドを結成し、57年頃から活動。のちにこのバンドはマーキーズと名を変え[[スタックス・レコード]]に出入りするようになる。<br />
64年頃、スタックスのハウスバンド、[[ブッカー・T&ザ・MG's]]に[[ルイ・スタインバーグ]]の後釜として参加、76年に同社が倒産するまで数多くの所属アーティストのレコーディングやライブをサポートした。<br />
 
70年代からは体制の変わった同社から少しずつ離れ、[[ロッド・スチュワート]]や[[ザ・バンド]]の[[リヴォン・ヘルム]]、[[レオン・ラッセル]]等のセッションに参加するようになり、78年にはTV番組[[サタデー・ナイト・ライブ]]の企画から生まれたバンド、[[ブルース・ブラザーズ|ザ・ブルース・ブラザーズ]]にスティーヴと共に加わり80年、98年に公開された映画にも出演。<br />
641964年頃、スタックスのハウスバンド、[[ブッカー・T&ザ・MG's]]に[[ルイ・スタインバーグ]]の後釜として参加、761976年に同社が倒産するまで数多くの所属アーティストのレコーディングやライブをサポートした。<br />
83年からは[[エリック・クラプトン]]のバンドに参加しツアーと2枚のアルバムでプレイし、85年の[[ライブエイド]]にも出演した<br />
 
90年、[[メンフィス]]から[[フロリダ州]][[パルメットー]]に引っ越す。<br />
701970年代からは体制の変わった同社から少しずつ離れ、[[ロッド・スチュワート]]や[[ザ・バンド]]の[[リヴォン・ヘルム]]、[[レオン・ラッセル]]等のセッションに参加するようになり、781978年にはTV番組[[サタデー・ナイト・ライブ]]の企画から生まれたバンド、[[ブルース・ブラザーズ|ザ・ブルース・ブラザーズ]]にスティーヴと共に加わり801980年、981998年に公開された映画にも出演。<br />
92年に[[ブッカー・T&ザ・MG's]]として[[ボブ・ディラン]]の30周年特別公演のハウスバンドを務める。また同年、やはりMG'sの一員として[[忌野清志郎]]のアルバム「Memphis」に参加、[[日本武道館]]でのライブにも出演している。<br />
 
90年代後期に[[喉頭癌]]を患うも回復。<br />
001983からは主に[[ニールエリッククラプト]]のバンドに参加しツアーと2枚のアルバムでプコーディングイしスタックス1985年レビュー[[ライブや[[ブッカー・T&ザ・MG'sエイド]]でのライブ等で活動。<br />にも出演した
 
901990年、[[メンフィス]]から[[フロリダ州]][[パルメットー]]に引っ越す。<br />
 
921992年に[[ブッカー・T&ザ・MG's]]として[[ボブ・ディラン]]の30周年特別公演のハウスバンドを務める。また同年、やはりMG'sの一員として[[忌野清志郎]]のアルバム「Memphis」に参加、[[日本武道館]]でのライブにも出演している。<br />
 
901990年代後期に[[喉頭癌]]を患うも回復。<br />
 
2000年代からは主に[[ニール・ヤング]]のツアーやレコーディング、スタックスのレビューライブや[[ブッカー・T&ザ・MG's]]でのライブ等で活動。
 
この頃Dupree'sSyndromeという[[遺伝子病]]を患う。
 
== 死去 ==
2012年5月、コットンクラブ、ブルーノート東京での公演の為[[エディ・フロイド]]、[[スティーヴ・クロッパー]]らと来日。<br />
 
9日〜12日までの全公演終了翌日、2012年5月13日朝、宿泊先のホテルで死亡しているのが発見され、同日[[スティーヴ・クロッパー]]が[[facebook]]上で公表。<ref>[https://www.facebook.com/stevecropper/posts/10150953976045586 THE OFFICIAL STEVE CROPPER FACEBOOK PAGE]</ref><br />
 
== プレイスタイル ==
シンプルなパターンプレイヤーであり、リズムに徹したプレイと時に弦を引っぱり上げる程のハードなピッキングが特徴。<br />
 
ベースラインは1~2小節で完結していることが多く、フィルインも少ないが中音域を使うことによってメロディアスに聞こえ、耳に残るフレーズを多く残した。<br />
フレーズには[[ペンタトニック]]を多用し、8分音符主体で作られていることが多いが多少16分音符を加え、ひとつのパターンに対し1ヶ所入れられる[[シンコペーション]]がドライブ感を生み出し、前述のハードピッキングが生み出すツブ立ちの良さと相まって独特なサウンドになっている。<br />
 
フレーズには[[ペンタトニック]]を多用し、8分音符主体で作られていることが多いが多少16分音符を加え、ひとつのパターンに対し1ヶ所入れられる[[シンコペーション]]がドライブ感を生み出し、前述のハードピッキングが生み出すツブ立ちの良さと相まって独特なサウンドになっている。<br />
 
== 使用機材 ==
活動初期より長く[[フェンダー]]社の58年製[[プレシジョンベース]]を使用した。このベースはネックを[[ジャズベース]]のものと替えられている。<br />
 
00年頃よりLAKLAND社のシグネイチャーを使用いている。<ref>[http://www.basscentral.com/lakeland_usa/skyline_duck_dunn.shtml Lakland Skyline Duck Dunn]</ref><br />
その他フェンダー製のキャンディアップルのプレシジョンベース、メーカー不明の黒い[[ジャズベース]]、[[ヤマハ]]BB等の使用が確認されている。<br />
 
アンプは[[アンペグ]]を主に使用、その他GALLIEN-KRUEGERや[[ハートキー|Hartke]]、フェンダーベースマンも使用している。<br />
その他フェンダー製のキャンディアップルのプレシジョンベース、メーカー不明の黒い[[ジャズベース]]、[[ヤマハ]]BB等の使用が確認されている。<br />
 
アンプは[[アンペグ]]を主に使用、その他GALLIEN-KRUEGERや[[ハートキー|Hartke]]、フェンダーベースマンも使用している。<br />
 
最後の公演ではアンペグSVT-VRを使用していた。
 
== 脚注 ==
<references />
<references />
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==外部リンク==