「セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ」の版間の差分

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その後も[[高度経済成長期]]以降の日本経済の成長に伴う[[日本の外国人|在日外国人]]や[[帰国子女]]の増大を背景に児童、生徒数を増やし、隣接する[[フェリス女学院中学校・高等学校|フェリス女学院]]や[[横浜インターナショナルスクール]]、[[サンモール・インターナショナルスクール]]などとともに、横浜を代表するインターナショナルスクールとして市民に親しまれた。
 
===経営悪化===
しかし、[[1980年代]]以降、横浜エリアに在住する外国人駐在員などが減少し、代わりに日本人や[[韓国人]]、[[中国人]]などを中心とする東洋系の生徒が増えたものの、学費がインターナショナルスクールとしては比較的安めであったにもかかわらず、交通の便がいい[[東京都]]内のインターナショナルスクールなどに生徒を取られ生徒数が減少した。さらに[[文部省]]からの各種学校向け補助金条件が厳しくなったことなどにより先行きが危ぶまれた。
 
===廃校===
さらに、1980年代後半の[[バブル景気]]期のマリア会による[[暁星学園]]の[[イギリス]]校進出投資([[英国暁星国際学園]])に対する失策などによる、[[東京カテドラル聖マリア大聖堂|東京カテドラル教会]]の投資資金の回収が、同校の廃校とそれに伴う土地売却によって処理されることになった。
しかし、[[1980年代]]以降、横浜エリアに在住する外国人駐在員などが減少し、代わりに日本人や[[韓国人]]などを中心とする東洋系の生徒が増えたものの、学費がインターナショナルスクールとしては比較的安めであったにもかかわらず、生徒数が減少した。さらに[[文部省]]からの各種学校向け補助金条件が厳しくなったことなどにより先行きが危ぶまれた。
 
また、[[バブル景気]]期のマリア会による[[暁星学園]]の[[イギリス]]校進出投資([[英国暁星国際学園]])に対する失策などによる、[[東京カテドラル聖マリア大聖堂|東京カテドラル教会]]の投資資金の回収が、同校の廃校とそれに伴う土地売却によって処理されることになった。これを受けて、林会長を含む多くの卒業生一同、在校生とその保護者から猛烈な反対運動が展開されたにもかかわらず、[[1995年]]([[平成]]7年)に廃校することが決定され、全ての在校生が卒業した[[2000年]]([[平成]]12年)6月をもって廃校となった。
 
なお、バブル景気期のマリア会の拡大投資の首謀者で、資産売却によってこの責任を取ろうとした管区長は、かつてセントジョセフと暁星学園の両校でも教鞭を執ったこともある[[修道士]]であったが、その後[[札幌光星中学校・高等学校|札幌光星]]の神父(自身も自害)によって刺殺された。
 
===その後===
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*[[三船美佳]]
*ジョン山崎
*恩田フランシス英樹
*[[ジョー・リノイエ]]
*[[チャールズ・ペダーセン]]