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'''秋田城介(あきたじょうのすけ)'''とは律令制度において[[出羽国]]の秋田地方に置かれた[[秋田城]]出羽の[[国司]]である。秋田城に置かれた出羽介であることから秋田城介といわれるようになった。
 
780年に秋田城強化の方針が打ち出され、国司が秋田城に常在し統治に当たることとなった。10世紀後半には[[平繁盛]]が秋田城介に任官して以降、繁盛の子孫(繁盛流)、特に繁盛の孫である繁茂の一流が秋田城介を世襲し、繁茂の子、貞成からは秋田城介にちなんで城(じょう)の名字を名乗り始めた。この頃には、秋田城介の官職は名目だけのものとなっていた。しかし、秋田城介になることは武門の誉れとされるようになった。