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| birth_date = {{Birth date|1885|11|7|df=y}}<br/>[[イリノイ州]],マクリーン・カウンティ
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| death_date = {{Death date and age|1972|4|15|1885|11|7|df=y}}<br/>[[イリノイ州]],[[シカゴ]]
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▲|名前 = フランク・ハインマン・ナイト
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'''フランク・ハインマン・ナイト'''(Frank Hyneman Knight, [[1885年]][[11月7日]] - [[1972年]][[4月15日]])は、[[20世紀]]前半に活躍した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[経済学者]]。[[ジェイコブ・ヴァイナー]]、[[ヘンリー・シモンズ]]とともに[[シカゴ学派 (経済学)|シカゴ学派]]の創設者である。1950年[[アメリカ経済学会]]会長。
==略歴==
*[[ミシガン大学]]、[[テネシー大学]]を経て、[[コーネル大学]]で学位を取得。
*コーネル大学講師、シカゴ大学講師、アイオワ大学助教授を経て、[[1928年]]にシカゴ大学教授に就任 *[[1950年]]に[[アメリカ経済学会]]会長となった。 ==立場==
*ナイトは[[アルフレッド・マーシャル]]の経済学を継承し、[[道徳哲学]]に裏付けられた[[自由主義]]と自由企業制度の改革と社会進歩の考えを深化した。このためか、[[ミルトン・フリードマン]]や[[ジョージ・スティグラー]]、[[ロナルド・コース]]などシカゴ学派の第2世代と呼ばれる経済学者を育てたものの、自由競争に全幅の信頼を置くフリードマンらとは違い政府による政策的な介入をある程度は是認する立場を取っている。
==業績==
*ナイトは、不確定な状況を3つのタイプに分類した。
**第
**第
**そして第3のタイプは「推定」である。このタイプの最大の特徴は、第1や第2のタイプと異なり、確率形成の基礎となるべき状態の特定と分類が不可能なことである。さらに、推定の基礎となる状況が1回限りで特異であり、[[大数の法則]]が成立しない。ナイトは推定の良き例証として[[企業]]の意思決定を挙げている。企業が直面する不確定状況は、数学的な先験的確率でもなく、経験的な統計的確率でもない、先験的にも統計的にも確率を与えることができない推定であると主張した。▼
*そしてナイトは[[完全競争]]の下では不確実性を排除することはできないと主張し、その不確実性に対処する経営者への[[報酬]]として、[[利潤]]を基礎付けた。▼
▲第2のタイプは「統計的確率」である。これは例えば男女別・年齢別の「平均余命」のように、経験データに基づく確率である。
▲そして第3のタイプは「推定」である。このタイプの最大の特徴は、第1や第2のタイプと異なり、確率形成の基礎となるべき状態の特定と分類が不可能なことである。さらに、推定の基礎となる状況が1回限りで特異であり、[[大数の法則]]が成立しない。ナイトは推定の良き例証として[[企業]]の意思決定を挙げている。企業が直面する不確定状況は、数学的な先験的確率でもなく、経験的な統計的確率でもない、先験的にも統計的にも確率を与えることができない推定であると主張した。
▲そしてナイトは[[完全競争]]の下では不確実性を排除することはできないと主張し、その不確実性に対処する経営者への[[報酬]]として、[[利潤]]を基礎付けた。
== 人物像 ==
*ナイトの授業を受講し、後に同僚となった[[ジョージ・スティグラー]]は以下のようにナイトを表現した。
**タバコを吸うときは、爪楊枝を刺してひげを焦がすまで吸いきろうとする。
**ある時、「今から話す理論が分からない学生は経済学部を辞めろ!」と勢いよく叫んだ。しかし、その10分後、「自分もようやく2年前にこの理論が理解できたんだ」とつぶやく。
**ナイトの講義を取った学生は、ナイトのあっちへ行ったりこっちへ行ったりの授業を、1年目はノートを取ろうと悪戦苦闘する。2年目以降はそんなことをせずに、1年目の学生が悪戦苦闘しながらノートを取るのを見て笑う。
**だが、彼は学生からも、学内の教師たちからも尊敬された。「ほかの誰にも見たことが無いほど、真実に対する無条件の奉仕の精神を人々に感じさせた」。」<ref> 1997年――世界を変えた金融危機 [[竹森俊平]]82頁</ref>
== 脚注 ==
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