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上記の通り、官職とは「官」と「職」からなる。和漢の籍にその由来を求めれば、古代中国では官とは『[[説文]]』に曰く「吏、君に仕えるなり」といい、『[[周礼]]』に曰く「自ら臣属を置きて家を治むるを謂うなり」とある。また、職は『[[増韻]]』に曰く「執掌なり」といい、『[[爾雅釈詁]]』に「職は主なり」とあり、官と職は分けて考えられた。
日本も[[隋]][[唐]]に倣い[[律令制]]を導入する中で官職という概念が取り入れられ、『[[官位令義解]]』には「[[大臣]]以下書吏以上を官と曰う」とし『[[職員令義解]]』には「職は職司なり」と区別している。しかし、『[[和名抄]]』(倭名類聚抄)では[[太政大臣]]、[[左大臣|左]][[右大臣]]以下を職名の部に入れる一方、官省寮司職を官名の部に入れるなど必ずしも明確な区別はついていなかったともいわれている。また、中世以降、[[朝廷]]の官を職といい、[[幕府]]のを[[役職|役]]という説もあるが、これも明確な区別とは言い難い<ref>[[和田英松]][[著作|著]]、[[所功]][[校訂]]『新訂 官職要解』([[講談社]]、[[1983年]])17頁、18頁参照。</ref>。
 
官職制度・システムのことを'''職制'''(しょくせい)とも呼ぶ。[[戦前]]において、[[小中村清矩]]が、天皇が定めた役職を「官職」、[[幕府]]など臣下がみだりに定めた役職を「職制」と呼んで、[[大義名分]]に基づいて峻別したと唱えたが、[[戦後]]に[[瀧川政次郎]]らから批判された。
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* 天野郁夫著「第5章 国立大学の現実と課題」『「国立大学法人化後の財務・経営に関する研究」』(独立行政法人国立大学・財務経営センター、2007年)
* 和田英松著、所功校訂『新訂 官職要解』(講談社、1983年) ISBN 4061586211
 
== 外部リンク ==