「バルセロナ包囲戦 (1713年-1714年)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
17行目:
|casualties2 = 死者・負傷者7,000人
}}
'''第3次バルセロナ包囲戦'''([[カタルーニャ語]]:'''Setge de Barcelona''')は、[[1713年]][[7月25日]]から[[1714年]][[9月11日]]まで[[スペイン帝国|スペイン]]・[[フランス王国|フランス]]連合軍が[[カタルーニャ君主国|カタルーニャ]]の首都[[バルセロナ]]を包囲・攻め落とした戦いである。この戦いが[[スペイン継承戦争]]最後の戦いであり、スペイン全土を平定した[[フェリペ5世 (スペイン王)|フェリペ5世]]が名実共にスペイン国王となった。
 
[[1705年]]の[[バルセロナ包囲戦 (1705年)|第1次バルセロナ包囲戦]]で[[イングランド王国|イングランド]]・[[ポルトガル王国|ポルトガル]]同盟軍がバルセロナを陥落させてからはカタルーニャはフェリペ5世とスペイン王位を争った[[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール大公]]の根拠地となり、同盟軍は[[1706年]]の[[バルセロナ包囲戦 (1706年)|第2次バルセロナ包囲戦]]でスペイン軍の包囲を持ちこたえ逆に[[マドリード]]を落とした。しかし、すぐにフェリペ5世に奪還されて仕切り直しになっただけでなく[[1707年]]の[[アルマンサの戦い]]でスペイン・フランス連合軍に大敗してからは劣勢となり、[[アラゴン王国|アラゴン]]・[[バレンシア王国|バレンシア]]がスペイン軍に制圧、残されたカタルーニャもバルセロナ周辺しか保てなくなっていた。