「フィリベール・コメルソン」の版間の差分

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フランスやヨーロッパで薬草などの採集の旅を行い、地中海の魚や魚類の著書を書き、これは[[カール・フォン・リンネ]]の知ることになった。1760年に公証人の娘と結婚したが、妻は1762年に出産の時に没した。
 
1768年のルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィルの世界一周探検航海に、天文学者、[[ジェローム・ラランド]]の推薦で博物学者として乗り込んだ。伴った従者の[[ジャンヌ・バレ]]は男装して船に乗り込んだ女性で、後にさまざまな文学作品などに取り上げられた。寄航した各地で植物採集を行い、コメルソンが発見した植物は60の新しい属、3000種にのぼった<ref>『プラントハンター<small>ヨーロッパの植物熱と日本</small>』[[白幡洋三郎]](著)講談社 (1994年)ISBN 4062580063</ref>。その中には、探検隊長の名前をつけたブーゲンビリアもある。1768年に旧名フランス島(現在のフランス名モーリス島、[[モーリシャス]]諸島)で、植民地監督官で植物収集家のピエール・ポワブル(Pierre Poivre)と出会い、ブーガンヴィルの探検隊から離れ、胡椒の栽培種を探す、フィリピンや東南アジアの探検に、ピエール・ソネラ(Pierre Sonnerat)ともに参加した。1773年に[[マダガスカル島]]で植物研究を行った後、モーリシャスで46歳で没した。
 
アオギリ科(sterculiaceae)のコマーソニア・プルチェラ (Commersonia pulchella)などに献名されている。