「リカルド・フェリペ・ダ・シルバ・ブラガ」の版間の差分
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2010年7月、[[SLベンフィカ]]時代に指導を受けた[[ジョゼ・アジゥ・アマランテ]]が監督を務める[[名古屋オーシャンズ]]に3年契約で移籍した。初の公式戦となる[[Fリーグテバオーシャンアリーナカップ|Fリーグ大洋薬品オーシャンアリーナカップ]]」ではベンフィカ所属時の出場停止のペナルティが[[国際サッカー連盟]]の規定により持ち越された為に決勝戦からの登場となったが、試合ではさっそく2得点を挙げ、オーシャンズに同カップ初優勝をもたらした。リーグ戦でも名古屋の4連覇に貢献し、得点王争いでは31点で3位に終わったもののMVP・ベストファイブにそれぞれ選出された。
2011年6月、リカルジーニョは家族が[[福島第一原子力発電所事故]]による[[放射能]]汚染を危惧していることなどから、ロシアのCSKAモスクワに1年間のレンタル移籍をすることとなった<ref>2011年6月11日付[[中日新聞]]スポーツ面</ref>。なお保有権は引き続き名古屋が保持し、残り2年の契約を1年間延長した上で2012年シーズンより2年間は名古屋でプレーすることを確約して
<ref>[http://www.nagoyaoceans.com/news/pressrelease/2489.html リカルジーニョ選手について] - 名古屋オーシャンズ、2012年5月31日配信</ref>。
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