「ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー」の版間の差分

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== 生涯 ==
1616年、シュトゥットガルトに生まれたフローベルガーは、音楽の手ほどきを父親から受けたと考えられている。1634年に[[ウィーン]]に移り、1637年に当地の宮廷オルガニストとなっている。そして同じ年、[[イタリア]]は[[ローマ]]に遊学し、[[ジローラモ・フレスコバルディ|フレスコバルディ]]の門下に入る。1641年にウィーンに戻ると、1657年までこの地に居を構えたが、その間[[フェルディナント3世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント3世]]の外交官として、各地を歴訪した。[[ブリュッセル]]、[[ドレスデン]]、[[アントウェルペン]]、[[ロンドン]]などを訪れているが、フローベルガーの生涯にとって中でも重要なのは[[パリ]]で暮らした3年間(1650〜53年 - 1653年)である。ここで彼はフランス風の作曲技法を学んだ。フェルディナントの死後は[[アルザス地域圏|アルザス]]に移り、1667年、エリクールに没した。このような人生をたどったフローベルガーは[[コスモポリタン]]であり、そして自らの作曲にも[[フランス語]]の題名や、フランス語風のフロベルグFrobergue(Frobergue)というサインを好んだ。
 
== 作品 ==
''英語版に[[:en:List of compositions by Johann Jakob Froberger|作品リスト]]があります。''
 
=== 総論 ===
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フローベルガーの作品は、現在、主に次の3つの形で伝わっている。
* ウィーン写本。フェルディナント3世に献呈された、豪華な装飾本の『第2巻』(''Libro Secundo'', 1649年)と『第4巻』(''Libro Quarto'', 1656年)それぞれ4章に分かれており、24の作品を収める。
** 『第2巻』:6つのトッカータ、6つの[[幻想曲|ファンタジア]]、6つの[[カンツォーナ]]、6つの組曲。
** 『第4巻』:6つのトッカータ、6つの[[リチェルカーレ]]、6つの[[カプリッチョ]]、6つの組曲。
* 『カプリッチョとリチェルカーレ集』(''Libro di capricci e ricercate'', 1658年ころ)。6つの
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[[Category:バロックの作曲家]]
[[Category:ドイツの作曲家]]
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[[Category:1616年生]]
[[Category:1667年没]]
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