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1980年1月号より開始した巻頭[[コラム]]「紳士と淑女」(筆者は[[徳岡孝夫]]、最終号で明かされた)。また巻末コラムの[[山本夏彦]]「笑わぬでもなし」([[2002年]]に没する少し前までの約350回)も著名であった。[[1980年]]には60年代初頭まで左派であった[[清水幾太郎]]が本誌上にて核武装論を展開し、[[転向]]として話題となるなど、保守論壇の中核的月刊誌としての地位を確立した。なお清水は回顧録『わが人生の断片』を連載し上下巻で刊行。
 
初代編集長の田中健五(のち社長・会長)の意向が強く反映した内容を踏襲してきた。「[[正論 (雑誌)|正論]]」・「[[Voice (雑誌)|Voice]]」・「[[WiLL (雑誌)|WiLL]]」と共に[[保守]]・[[右派]]系の論壇誌であり、[[リベラル]]・[[左派]]路線の[[岩波書店]]の「[[世界 (雑誌)|世界]]」、[[朝日新聞社]]の「[[論座]]」(2008年休刊)などと対をなしていた。そのため戦前戦中日本([[大日本帝国]])を直視する立場をとっており[[中華人民共和国|中国]]や[[大韓民国|韓国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]](ソ連はなぜか対象ではなかった)など周辺諸国のナショナリズムを警戒する論文を掲載していた。
 
「文藝春秋」・「[[週刊文春]]」同様に[[公明党]]・[[創価学会]]には批判的。[[池田大作]]らの言動を巻頭コラム「紳士と淑女」でたびたび取り上げたほか、元[[毎日新聞]]編集委員[[内藤国夫]]による論説「月刊創価学会問題」を内藤が死去した[[1999年]]まで10年以上にわたって連載、論壇誌の中では同会に対し最も厳しい姿勢を取った。
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とりわけ[[朝日新聞]]批判は創刊以来のライフワーク的存在であり、しばしば特集を組んで批判論陣を張った。古くは[[本多勝一]]の『中国の旅』批判(その中から後述の[[イザヤ・ベンダサン]](=山本七平)と本多の誌上討論が起こった)、21世紀に入ってからは[[女性国際戦犯法廷#NHKの特集番組について|女性国際戦犯法廷のNHK番組改変問題]]で[[安倍晋三]]の主張と同じく「[[捏造]]を行った朝日」と批判を大々的に行っていた。
 
[[岩波書店]]で、多く本を出し雑誌『世界』で論文掲載していた、主に左派文化人の呼称である「[[進歩的文化人]]」批判も多く行った。特に[[ソビエト社会主義共和国連邦|ソ連]]解体([[ソ連崩壊]])後の、左派文化人が[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]の[[独裁政治|独裁体制]]や[[中華人民共和国|中国]]の[[文化大革命]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[金日成]]崇拝を無条件で礼賛していた各種の過去の発言を雑誌や新聞から発掘し、個人名を挙げて出典付きで紹介する「悪魔祓いの戦後史」([[稲垣武]])の連載は反響を呼んだ。同著は[[山本七平賞]]を受賞した。
 
また[[2001年]]2月号では[[南京大虐殺論争]]では多種多様なアンケート結果を掲載し、紙上で[[産経新聞]]論説委員[[石川水穂]](当時)の司会で、「中間派」の[[秦郁彦]]と「まぼろし派」の[[東中野修道]]による座談会を行った。