「ハーフナー・ディド」の版間の差分

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== エピソード ==
* 帰化が報道された際、帰化名が、同時に[[官報]]に記載された日本国籍取得者の「浜名デレク」と取り違えられる誤報が流れた。実際はカタカナの「ハーフナー・ディド」である。なおディドによればオランダ語風に彼の名前をカタカナ表記することは、日本語にない音を含むため非常に困難だそうである。なにかと印鑑が必要になる日本で「浜名」という印鑑を購入してはいた。ちなみに、[[中国語]]における漢字表記は'''哈维纳尔'''(日本語の漢字表記に従えば'''哈維納爾''')だが、日本国内で使用することは基本的にない
* 選手時代は、試合前練習でサポーターからコールが起きると手を振って答えるなど、ファンを大切にする姿勢をみせていたため広く親しまれていた。コンサドーレ札幌では引退してGKコーチになったあとも、試合前練習のGKのパートナーとしてグランドに出るとサポーターからコールが起きていたほど人気があった。マリノスのコーチとしても試合前にもディドのコールが時折起き、その都度手を振り応えていた。
* マツダSC時代のプレーを観た者によれば、とにかくいちいち前に出て全部止め、一人だけ異次元のサッカーをやっているかのようだったという。また24時間頭の中はサッカーだけ、というプロとしての哲学は信藤ら、まわりの選手に大きな影響を与えた。本人はGKという役割に確固たる信念と誇りを持っているが長男マイクも二男ニッキもGKにさほど興味を示さずに、GK漬けだった父親として嘆息している。