「ガザ紛争 (2008年-2009年)」の版間の差分

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== 背景 ==
 
気持ちいことをしたいしたいしたいしたいしたいしたい
[[イスラエル]]と[[ハマース]]の間では、2008年6月から半年間にわたって停戦協定が結ばれた。[[6月19日]]、エジプトの仲介でハマースとイスラエルは6ヶ月の停戦に踏み切った。断続的に衝突が続いた。そして、12月に入り、再度エジプトの仲介のもとで停戦延長の交渉が持たれたが、ハマース側はイスラエルがガザの封鎖解除に応じないことを問題視し、延長を拒否したため[[12月19日]]失効した。
わろすわろすわろすわろすわろすわろすわろすわろす
 
停戦の期限が切れる前の11月4日夜、イスラエル軍はガザ中部に侵攻し、戦闘や空爆でハマースの6人が死亡した。ハマースは5日、イスラエルに向けて30発以上の[[ロケット弾]]を発射したが、被害はなかった。<ref>{{cite news|url=http://mediajam.info/topic/682227|title=ガザでハマースの6人死亡 停戦後、初の本格衝突 |date=2008-11-05|publisher=[[共同通信]]}}</ref>
 
しかしイスラエル軍は11月12日、再び越境攻撃でハマースの4人を殺害。ハマースは14日、ガザから約10キロ北のイスラエル中部の中核都市アシュケロンに、より高性能の旧ソ連型ロケット弾を撃ち込んだ。けが人はなかったが、イスラエル軍は大規模空爆など攻撃拡大に踏み切るとみられていた。<ref>{{cite news|url=http://mediajam.info/topic/694950|title=ガザ停戦、崩壊の危機 ハマースと軍の衝突再燃|date=2008-11-15|publisher=[[共同通信]]}}</ref>
 
イスラエルでは2009年2月に総選挙を控えているが、攻撃前の段階で対パレスチナ強硬派の野党・[[リクード]]が支持を拡大し、与党・[[カディマ]]も弱腰な姿勢をみせることはできないとして、大規模な報復攻撃を実行することとなった。また、[[2009年]][[1月20日]]の「敵との対話」を掲げる[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[バラク・オバマ|オバマ]]政権の発足を前に、「ハマースを弱体化しておきたい」とするイスラエルの思惑があったという論調もある<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20081229ddm003030058000c.html|title=クローズアップ2008:イスラエル軍、ガザ空爆 与党劣勢焦り強行 |date=2008-12-29|publisher=[[毎日新聞]]|accessdate=2009-01-11}}</ref>。
 
== 経過 ==