「WASG」の版間の差分

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組織形成の直接の原因は、[[赤緑連合]]政権で[[新自由主義]]的な改革路線(ネオリべ路線)を採った党内右派の[[ゲアハルト・シュレーダー]]首相(当時)率いる[[ドイツ社会民主党]] ({{Lang|de|SPD}}) 指導部に失望し、反発した {{Lang|de|SPD}} 内の左派が、[[2005年]][[1月]]に一斉離党・独立して結成した政党。<br />
その後、{{Lang|de|SPD}} 左派の大物政治家[[オスカー・ラフォンテーヌ]]元[[財務大臣]](元 {{Lang|de|SPD}} 党首)が加わり、総選挙を闘った。<br />
 
左翼党に吸収された当時のWASGには、約11,600人の党員が登録されていた。<br />
==経過==
wasg は、政府に批判的なSPDの党員や労働組合員が、当初「労働と社会正義」クラブとしていたものを2004年の討議の過程で、より上位の政党を構成するものとして、2005年2月22日に形成された。<br />
2006年6月16日にWASGとPDSの統合を問う直接選挙が成功をおさめ、正式に「左翼党」という党名が、が決定した。<br />
2007年3月で党員数が、11,600人であった。2006年12月31日は減少したために、2007年9月に8,944人が遅れて入党した。<br />
 
 
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