「ペトルス・バルトロメオ」の版間の差分

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アンティオキア攻囲戦 2012年1月20日 (金) 10:44‎ , エルサレム攻囲戦 (1099年) 2011年9月3日 (土) 01:42‎ より転記
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ペトルスに対して、聖書の国に来たのだから聖書の国らしく[[神明裁判]]を行おうという声も上がり始めた。エルサレムへ進軍中の[[1099年]][[4月8日]]、ペトルスは自らの真実を証明するため、「火による試練」を受けることになった。これは燃える板壁と板壁の間の隙間を歩くというものだった。彼が嘘をついておらず聖なるものに導かれていたとすれば、この試練を無傷でこなすことができるはずだった。しかし彼は大火傷を負う結果になった。なおも彼は、火の中でキリストが現れたために炎の中でも無傷で済んだ、しかしその後で群衆が押し寄せてきたせいで大けがをしたのだ、と言い続けた。しかし苦悶の末、ペトルスは4月20日に没した<ref> Runciman, ''History of the Crusades'', vol. 1, pp. 273-274.</ref>。
 
レーモンの後ろ盾を受けたペトルスの発見した聖槍は、十字軍内のレーモンに対する権威を高めるものでもあった。そのペトルスが神明裁判に敗れ聖槍も偽物だという話が広まると、レーモンの権威も損なわれた。しかし西欧では、ペトルス・バルトロメオは真に幻視を見、本物の聖槍を発見したという話が伝わることになった。
 
== 脚注 ==