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'''札幌東宝公楽'''(さっぽろとうほうこうらく)は、かつて存在した日本の[[映画館]]である。所在地は[[中央区 (札幌市)|札幌市中央区]]南5条西3丁目
東京の[[日比谷映画|千代田劇場]]→日劇東宝→日劇2→[[TOHOシネマズ日劇]](スクリーン2)系列の邦画ロードショー館。道内にある東宝系映画館([[シネマコンプレックス|シネコン]]含む)の中でも最大規模を誇っていた。定員470人。[[ドルビーデジタル|デジタル音響]]は非対応。劇場正面に手書きの映画看板を掲げていた道内最後の映画館であった。▼
== 沿革 ==
*[[1921年]]([[大正]]10年) [[すすきの]]一帯の[[地域おこし]]のため、地元有志の提唱により
*[[1949年]]([[昭和]]24年) '''札幌大映劇場'''に改称され、[[大映]]の封切館となる。
*[[1955年]](昭和30年) 東宝の直営館となり、館名を'''東宝公楽劇場'''に改称。
*[[1970年]](昭和45年) 改築され、ビルの3階に'''札幌東宝劇場'''として再開場された。
*[[1974年]](昭和49年) '''札幌東宝公楽'''に改称。
*[[2010年]]([[平成]]22年) [[8月31日]] 閉館
*[[2010年]]([[平成]]22年) [[シネマコンプレックス]]の台頭などで、470席1スクリーンの規模では、今後の経営継続が困難な状況になるため、閉鎖することが発表された。同年7月10日封切の『[[劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール 幻影の覇者 ゾロアーク]]』が最後のロードショー作品となる。▼
== 略歴・概要 ==
== この劇場でシリーズ上映を貫いた作品 ==▼
[[File:Hokkai Times 19270422 Mimasu Kwan.jpg|thumb|400px|『[[北海タイムス]]』1927年4月22日付に掲載された同館の広告。]]
=== 美満壽館時代 ===
1921年(大正10年)、[[札幌市]]南5条西3丁目(現在の[[中央区 (札幌市)|札幌市中央区]]南5条西3丁目)に'''美満壽館'''として設立される。大正末年の1920年代には、札幌市内の映画館は、同館のほか、[[錦座]]、[[帝国館]]、[[中央館]]、[[遊楽館]]、[[金春館]]、[[松竹館]]、[[エンゼル館]]、[[八二館]]の8館が存在した<ref>[[#外部リンク|''全国主要映画館便覧 大正後期編 北海道'']]、みつ豆CINEMA, 2012年6月12日閲覧。</ref>。
1927年(昭和2年)4月22日付『[[北海タイムス]]』に同館が出した広告によれば、[[ユナイテッド・アーティスツ]]が1924年(大正13年)に製作した[[D・W・グリフィス]]監督の『{{仮リンク|素晴らしき哉人生|en|Isn't Life Wonderful}}』、[[日活大将軍撮影所]]が製作し同年2月9日に東京では公開されていた[[内田吐夢]]監督の現代劇『[[競走三日間]]』、同じく同年1月28日に東京では公開されていた[[中山呑海]]監督の時代劇『[[愛闘苦闘]]』が2か月遅れで上映されている<ref name="HT19270422">『[[北海タイムス]]』、1927年4月22日付、第2面。</ref>。同年の時点では、札幌市内の映画館は、同館のほか、九島興行の中央館、遊楽館、[[三友館]](のちの日活館)、および[[盛賑館]]、[[松竹座]]、エンゼル館、別当興業の[[美登喜館]]、八二館の8館が存在した<ref>[[#外部リンク|''昭和7年の映画館 北海道'']]、中原行夫の部屋、2012年6月12日閲覧。</ref>。当時同館専属の[[活動弁士]]に、作家の[[小林多喜二]]と親交があった[[五條楓声]]がいた<ref>小林、p.251.</ref>。
[[第二次世界大戦]]の終了後、[[1949年]]([[昭和]]24年)、'''札幌大映劇場'''に改称され、[[大映]]の封切館となったが、その後、同館の東宝による買収にあたり、「札幌大映劇場」は北4条西3丁目に移転した(1974年閉館)。
=== 東宝系の劇場 ===
[[1955年]](昭和30年)、東宝の直営館となり、館名を'''東宝公楽劇場'''に改称した。
1969年(昭和44年)、大正期の開館以来の建物を取り壊し、翌1970年(昭和45年)にビルディングに改築、3階に'''札幌東宝劇場'''として再開場する。
▲[[1974年]](昭和49年)、'''札幌東宝公楽'''に改称、東京の[[日比谷映画|千代田劇場]]→日劇東宝→日劇2→[[TOHOシネマズ日劇]](スクリーン2)系列の邦画ロードショー館となった。道内にある東宝系映画館([[シネマコンプレックス|シネコン]]含む)の中でも最大規模を誇っていた。定員470人。[[ドルビーデジタル|デジタル音響]]は非対応。劇場正面に手書きの映画看板を掲げていた道内最後の映画館であった。
▲
== おもな上映作品 ==
=== 美満壽館 ===
* 『{{仮リンク|素晴らしき哉人生|en|Isn't Life Wonderful}}』 ''[[:en:Isn't Life Wonderful|Isn't Life Wonderful]]'' : 監督[[D・W・グリフィス]]、[[ユナイテッド・アーティスツ]]、1924年(同館では1927年)<ref name="HT19270422" />
* 『[[競走三日間]]』 : 監督[[内田吐夢]]、[[日活大将軍撮影所]]、1927年<ref name="HT19270422" />
* 『[[愛闘苦闘]]』 : 監督[[中山呑海]]、日活大将軍撮影所、1927年<ref name="HT19270422" />
*[[ゴジラ]]シリーズ
*[[社長シリーズ]]
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*[[とっとこハム太郎 (アニメ)#劇場版|とっとこハム太郎]]シリーズ(第3作まで。最終作は札幌CFで上映)
== 関連項目 ==▼
;現存
▲'''道内にある東宝系の映画館'''
*[[札幌東宝プラザ]]
*[[恵庭・東宝シネマ8]] - 北海道東宝株式会社が経営・運営
*[[札幌シネマフロンティア]]([[TOHOシネマズ]]・[[松竹]]・[[ティ・ジョイ]]([[東映]]系)の共同経営、札幌シネマフロンティアが運営)
;閉館
'''かつて存在した道内の東宝系映画館'''▼
*[[日本劇場 (札幌市)]] - 北海道東宝株式会社が経営・運営
*[[函館東宝]] - 北海道東宝株式会社が経営・運営
*[[旭川東宝]] - 北海道東宝株式会社が経営・運営
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 『定本小林多喜二全集 第13巻』、小林多喜二、[[新日本出版社]]、1969年
▲== 関連項目 ==
* [[すすきの]]
* [[エンゼル館]]
== 外部リンク ==
* [http://www.hokkaidotoho.co.jp/ 北海道東宝株式会社
* [http://www.toho.co.jp/ 東宝株式会社]
* [http://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/zenkokueigakan1.htm 全国主要映画館便覧 大正後期編 北海道] - みつ豆CINEMA
* [http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/hokkaidou7.htm 昭和7年の映画館 北海道] - 中原行夫の部屋 (原資料『[[キネマ旬報]]』)
{{movie-stub}}
{{デフォルトソート:さつほろとうほうこうらく}}
[[Category:過去の東宝系列映画館]]
[[Category:札幌市の歴史]]
[[Category:中央区 (札幌市)]]
[[Category:かつて存在した日本の劇場]]
[[Category:北海道の建築物]]
[[Category:北海道の映画館]]
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