「蔵前国技館」の版間の差分

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*1971年の改修前は館内にすきま風が吹き、寒さに震えながら観客が相撲を観戦するような状態だった。大相撲担当記者からそのことを問われた当時の[[双葉山定次|時津風]]理事長が「そこは土俵の熱戦で暖まっていただいて……」と苦しい答弁をする程だったが、時津風の没後3年して改修が完了した。
*両国国技館は地下に[[焼き鳥]]の仕込や調理を一括しておこなう「焼き鳥工場」があることが有名だが、この焼き鳥事業は[[相撲茶屋|国技館サービス株式会社]]の前身・相撲サービス株式会社が蔵前国技館時代から行なっていた事業。当時は地上にあった調理場で一つひとつ炭火焼きにしていた。そのため午前中は国技館から鶏肉を焼く煙と香匂が広がり、これも蔵前界隈の風情を代表する光景のひとつだった。
*大相撲や格闘技以外のイベントでは、[[日本将棋連盟]]が行う[[将棋の日]]」といわれるイベントで使用されたことがあり、将棋の対局土俵上で行われた(こ。1975年にはイベント一環として、「将棋日」対局は、催当時に行われていた[[十段戦]]七番勝負の[[中原誠]]対[[大山康晴]]の対局の一部が蔵前国技館での[[公開対局]]として行われたが、これは将棋史上初タイトル戦の公開対局だった
 
== 関連項目 ==