「投石器」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
ロードス→ロドス
31行目:
[[聖書]]の『[[士師記]]』には「一本の毛すじをねらって」投げてもはずさないという手練の投石兵たちの記述があり、また『[[サムエル記]]』には、後に[[イスラエル]]の王となる[[ダビデ]]が少年のころ投石器で[[ペリシテ人]]の[[ゴリアテ]]という大男を倒したことが書かれている。
 
古代の[[地中海]]世界では東の[[ロドス島]]人や西の[[バレアレス諸島]]人が特に投石器の名手の多いことで知られ、諸国の[[傭兵]]隊に投石兵を提供していた。
 
古典時代の古代ギリシア世界では[[重装歩兵]]の[[白兵戦]]のみが栄誉あるものとされていたために投石器の歴史記録に乏しい。しかし、現実には戦闘開始時に敵戦列を乱して自軍の重装歩兵戦列の突破口を作ったり、攻撃が失敗して退却するときに、軽装歩兵が投石器、[[弓矢]]、[[投槍]]によって反撃を行わなければ退却はおぼつかなかった。そうした実態は次に記す『[[アナバシス]]』などの実例によって判明している。
 
『[[アナバシス]]』<ref>[[アケメネス朝]][[ペルシア]]の王位継承の[[クーデター]]のために雇われ、[[メソポタミア]]で敵中に孤立したギリシア人傭兵隊がギリシア系植民市の点在する[[黒海]]沿岸をさして退却し、黒海南岸を経て[[ペルガモン]]に至る道中を主に描いた[[クセノポン]]による[[回想録]]。</ref>では、[[重装歩兵]]中心で投石兵や[[騎兵]]を欠くギリシア人傭兵が、騎兵・[[弓 (武器)|弓]]兵・投石兵よりなる敵の小部隊に遠方から一方的に攻撃され、防戦に徹さざるを得ずに戦意を喪失しかけた際、クセノポンの発案で陣中からロドス島人を集めて投石兵隊を編成し、速成の騎兵隊とともに数日後に現れた同じ構成の敵の大部隊をみごとに撃退したこと、その時鉛玉や小型の石弾を使うロドス島人投石兵が大きな石を使う敵側の投石兵や弓兵に射程で優っていたことが書かれている。
 
史実を背景にするとはいえ、[[旧約聖書]]の半ば[[神話]]的なダビデとゴリアテの物語はともかく、著者本人の体験に基づく『アナバシス』の記述や、[[ペロポネソス戦争]]を描いた[[トゥキディデス|トゥキュディデス]]の同時代史記録である『[[戦史 (トゥキディデス)|戦史]]』中、[[スパルタ]]人守備隊が降伏したスパクテリア島での戦闘の記述などは、重装歩兵に対しても投石器による攻撃が有効であったことを示している。