「農林水産大臣」の版間の差分

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古くは[[片山内閣]]の[[平野力三]]農林大臣が[[西尾末広]][[内閣官房長官]]と対立し、[[GHQ]]の意向も手伝って[[片山哲]]首相から[[罷免]]された後、[[公職追放]]の憂き目に遭った。[[廣川弘禅]]農林大臣は吉田内閣における吉田首相懲罰動議に欠席して本会議で可決されたため罷免され、[[バカヤロー解散]]による解散総選挙で落選した。最後の農林大臣であり、初代の農林水産大臣である[[福田赳夫内閣 (改造)|福田赳夫改造内閣]]の[[中川一郎]]は退任の5年後、57歳の若さで自殺(不審死)している。[[よど号ハイジャック事件]]の人質身代わりとしても知られる[[山村新治郎 (11代目)|山村新治郎]]は離任の8年後に次女に刺殺され、その次女も後に自殺を遂げた。
 
省庁再編後、[[2001年]]に就任した[[武部勤]]は[[牛海綿状脳症|BSE]]問題を巡る失言などで批判を浴び、翌年の内閣改造で事実上の更迭、後任の[[大島理森]]は様々な疑惑から事実上更迭された。続く[[亀井善之]]は離任後まもなく病に倒れて死去している。[[2004年]]に就任した[[島村宜伸]]は翌年の[[郵政解散]]直前、閣議で衆議院の解散に反対して閣議決定への署名を拒否し、辞表を提出したが、[[小泉純一郎]]首相により罷免された。島村の罷免を受け、副大臣から昇格した[[岩永峯一]]も離任後に献金問題を指摘された。[[2005年]]に2度目の就任を果たした[[中川昭一]](初代農林水産大臣・中川一郎の子息)は無難に職務をこなし退任したものの、4年後には[[財務大臣]]辞任、落選の憂き目を見て、2009年10月に父・一郎より1歳若い56歳で急逝した。
 
特に[[2006年]][[9月26日]]に発足した[[安倍内閣]]では農相の交代が頻繁に起こっており、最初就任した[[松岡利勝]]は光熱水費問題を国会で追及され、戦後の閣僚としては初めて在任中に自殺。[[若林正俊]]の臨時代理を経て後任の[[赤城徳彦]]も自身の数々の疑惑により、これが一因で[[第21回参議院議員通常選挙|7月の参院選]]における自民党敗北を招いたとされ、[[2007年]][[8月1日]]に事実上の更迭、2009年の[[第45回衆議院総選挙]]は落選した。
 
そして、[[若林正俊]][[環境大臣]]の兼任を経て[[8月27日]]に発足した[[安倍内閣 (改造)|安倍改造内閣]]では[[遠藤武彦]]が就任するも、置賜農業共済組合掛金不正受給問題などを追及され、[[9月3日]]に辞任。在任期間8日間という近年では稀に見る異例の事態となった。後任はまたも若林。同一政権下で臨時兼任も含めると3か月余りの間で3度目の農相就任となった。更迭という事態にはならなかったが、退任後の[[2010年]][[4月2日]]、参議院本会議での不正投票問題によって議員辞職に追い込まれた。
 
[[2008年]]8月にも、[[太田誠一]]による事務所費問題も浮上し、在任中に事故米不正転売事件に関する発言が問題視された。2008年[[9月19日には]]、事故米の不正転売の責任を明確にするということで、[[福田康夫]]首相に辞表を提出。太田も赤城同様、同選挙で落選した。太田の辞任後は[[内閣官房長官]]の[[町村信孝]](町村は同総選挙で小選挙区落選。比例で復活)が臨時代理を務めていたが、[[麻生内閣]]で農林水産大臣に就任した[[石破茂]]は、この事態に「誰から事務引き継ぎするの?」と就任時のインタビューで皮肉を漏らした。[[2009年]]に誕生した[[鳩山由紀夫|鳩山内閣]]の[[赤松広隆]]は翌年の[[2010年日本における口蹄疫の流行|口蹄疫問題]]への対応の遅れで強い批判を浴び、閣僚の大半が残留した6月の[[菅内閣]]の誕生に当たって、事実上責任を取る形で退任した。後任として副大臣から昇格した[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]は、職務そのものは無難につとめたものの、[[2010年9月民主党代表選挙]]で首相と対立する[[小沢一郎]]候補を支援したこともあり、わずか3か月で退任となった。[[菅第1次改造内閣]]からは[[鹿野道彦]]が職務を無難にこなしたが、中国書記官のスパイ疑惑に直面してしまい、[[2012年]]6月の[[野田第2次改造内閣]]発足に伴い退任し、[[郡司彰]]が農林水産大臣に就任した。短期間ながら職務そのものを無難にこなした山田やスパイ疑惑に直面する前の鹿野が1年以上職務を無難にこなしたように、民主党政権に入ってからは不祥事による辞任及び農林水産相辞任後の不幸は減った。
 
なお、日本国憲法下において罷免された閣僚は5名であるが、3名が農相である。