「近藤長次郎」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Zinjafar (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
8行目:
 
[[画像:Kondo Chojiro Grave.jpg|thumb|200px|近藤長次郎の墓]]
その後、長次郎は受け取った謝礼金の一部で、仲間には内緒でイギリスへの留学を計画した。武器商人[[トーマス・ブレーク・グラバー]]の船に乗船してイギリスへ向かおうとするが、悪天候のため長崎に引き返し、さらに仲間に見つかってしまう。このため、亀山社中の社中盟約書に違反したとして、仲間たちより追及を受けたのち責任をとって[[小曽根乾堂|小曽根]]邸で切腹した。なお、このとき切腹を命じたのは龍馬自身であったという説が一部にあるが、当時龍馬は薩長同盟締結のため京都に赴いていて長崎には不在であり、長次郎の切腹は、龍馬不在中に社中の隊士が決定したことである可能性が高い。享年29
 
龍馬の妻である[[楢崎龍|お龍]]は後に回顧録『千里駒後日譚』(せんりのこまごじつのはなし)の中で長次郎の訃報を聞いた龍馬が「己が居ったら殺しはせぬのぢゃった」とその死を悼んでいたという証言を残している。