「漢城府」の版間の差分

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[[1394年]][[11月26日]](旧暦10月)、朝鮮王朝の太祖・[[李成桂]]により[[開京]](開城)から漢陽へと遷都され、1395年(太祖4年)6月6日に漢陽府を改め漢城府とした。遷都時に宮殿や官庁が建てられた地域の住人は見州に移し、[[楊州郡]]とした。15世紀初めの人口は10万人程度。
 
太祖は漢陽の防衛のために[[北岳山]]と[[駱山]]・[[南山]]、[[仁王山 (ソウル特別市)|仁旺山]]を結ぶ約17kmの城壁を建てた。1395年には漢城の範囲を「都城」の「城底」とし、それが朝鮮時代の500年間使用された。都城内はすべてが国有地であり、宮殿、官庁、道路、下水道、市場などの場所が決められていた。また、城外の範囲として城底の城壁から四方10里を指すが、北は[[北漢山]]、南は[[漢江]]、露渡、東は楊州松溪院・大峴<ref>現・牛耳川</ref>・中浪浦、西は楊花渡・高陽徳水院<ref>現・鷹岩洞</ref>、沙川に沿って[[蘭芝島 (ソウル特別市)|蘭芝島]]付近とされた。
 
== 行政区画 ==