「古典古代」の版間の差分

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{{独自研究|date=2012年6月}}
'''古典古代'''(こてんこだい、{{lang-en-short|Classical Antiquity}})は、[[ヨーロッパ史]](西洋史)において[[古代]][[古代ギリシア|ギリシア]]・[[古代ローマ|ローマ]]時代を指す名称である。この時代に生み出された文化・文明が現在の[[ヨーロッパ]]文化の基盤になっていることに由来し、「古典的」という修飾句を冠することで他の古代(文化・文明)と区別したものである。
 
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古典古代の終焉は、[[古代末期]]の終了に伴う古代文化の崩壊と[[中世]]初頭の開始を以ってとされ、これ以後の[[西ヨーロッパ|西ヨーロッパ世界]]は、ローマ帝国末期から次第に力を増してきた[[キリスト教]]と[[ゲルマン人]]の文化に支配されることになった([[中世]]の始まり)。古典古代の文化的遺産は[[東ローマ帝国|東ローマ(ビザンツ)]]に継承され、[[8世紀]]以降は[[アラビア語]]への翻訳を通じて[[イスラーム世界]]に引き継がれた。ここで古典古代文化は[[哲学]]・[[自然科学]]の研究の面で独自の発達を遂げ、[[十字軍]]・[[レコンキスタ]]による西欧世界との接触・交流の開始により、再び西欧へと「逆輸入」されることになり、[[12世紀ルネサンス]]、([[14世紀]]以降の)[[ルネサンス|イタリア・ルネサンス]]の成立につながった。この結果、古典古代文化はキリスト教・ゲルマン人文化に加え現代にいたるヨーロッパ文化の基盤とみなされるに至っている。
 
なお、ヨーロッパ文化圏に限らずいかなる文化圏においても、その文化の基盤を構成する古い時代からの遺産は存在するのであって{{要出典|date=2012年6月}}、そういう意味では、地中海ヨーロッパにおける古代のみを「古典古代」として特別扱いするのは[[ヨーロッパ中心主義]]的であるともいえる{{要出典|date=2012年6月}}
 
==関連項目==