「中馬馨」の版間の差分

編集の要約なし
== エピソード ==
*大阪市長在任中に、[[大阪港]]の[[防波堤]]新築工事を国に陳情しようと当時の[[大蔵大臣]]だった[[田中角榮]]と会談した時、田中角榮から『大阪港は国家の物流にとっても重要な場所なので、防波堤工事は国の責任でやりましょう。しかしその代わり、大阪市内の[[路面電車]]([[大阪市電]])を廃止してもらいたい。[[日本社会党|社会党]]系の市長のあんたが大阪の路面電車を廃止しますといえば、東京の自民党は反対しないんだ。是非お願いしたい』と言われた逸話がある。<ref>[[早坂茂三]]:「早坂茂三の『田中角榮』回想録」より</ref>
*[[1923年]]、[[関東大震災]]発生当時(早稲田大学在学中であった)、叔母の家に見舞いに行く途中群集に取り囲まれて下富坂警察署に連行され、「死を覚悟」する程の暴行を受けたという<ref>中馬馨『市政に夢を』大阪都市協会(1972年)、p.563</ref>。当時は、混乱に乗じて暴徒と化した[[朝鮮人]]が放火や略奪を行っているという根拠のない[[デマ]]が流れており、警戒をしていた[[自警団]]によって朝鮮人と間違えられたものである。
*墓は[[豊中市]]の[[服部霊園]]にあり、墓地使用料と管理料は大阪市が負担していたが、2006年になり大阪市議会の要求で撤去を迫られ、現在、広大な跡地は市民の霊園として利用されている。
 
15

回編集