「アブドゥッラフマーン (モンゴル帝国)」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2009年12月}}
'''アブドゥッラフマーン'''(? - [[1246年]])は、[[モンゴル帝国]]の官人。'''アブドゥルラフマーン'''({{lang|en|Abd-ur-Rahman}})などとも表記される。
 
[[西域]]の[[色目人]]で商家の出身であった。経済の才能に長けていたことから、モンゴル帝国の官人であった[[チンカイ]](鎮海)の推挙により、第2代君主[[オゴデイ]]やその皇后である[[ドレゲネ]]の厚い信任を受けた。[[1239年]]には拡大を続けるモンゴル帝国で支配機構の整備が追いつかなかったために財政難が起きたが、持ち前の才能でこれを解決したばかりか収入を倍増させるなどしたため、オゴデイから賞賛され、オゴデイの側近だった[[耶律楚材]]に代わって第一の側近の座を獲得する。