削除された内容 追加された内容
Asai1920 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
m 編集前は、「日本書紀の編集に関与した」となっていたが、この仮説は推定であるので、「関与したという説もある」がより正確。
20行目:
大宝の遣唐使として43年ぶりに入唐を果たした道慈は、帰国後に『愚志』という書物を著して、唐と異なり教典に従っていないことが多い日本の仏教界を批判し、僧尼の質を向上させるために[[戒師]]を唐から招請することを提案した。戒師の招請は[[天平勝宝]]の遣唐使が帰還する際に、日本に渡ることを承諾した[[鑑真]]の来日によって実現することになる。<ref>鐘江宏之『律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)』95頁</ref>
 
また、「[[日本書紀]]」の編纂にも関与したという説もある、漢詩にも優れ「[[懐風藻]]」に入集している。
 
== 脚注 ==