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{{出典の明記|date=2010年6月}}
'''永昌大君'''(ヨンチャンデグン、えいしうたいくん、영창대군、[[1606年]] - [[1614年]])は[[李氏朝鮮]]の第14代王[[宣祖]]の末息子で唯一の嫡出子。母は[[仁穆王后]]。名は㼁
 
永昌大君が生まれると、嫡流の後継者を望んでいた宣祖は次男([[庶子]])の[[光海君]]の代わりに永昌大君を[[世子]]に冊封しようと思い考え、柳永慶など[[北人#歴史|小北派]]の支持を受けた。しかし、[[1608年]]宣祖急死により光海君が即位した。[[1613年]]、[[庶孽党#七庶獄事|七庶獄事]]が起こると、[[北人#歴史|大北派]]幼少操作によって永昌大君と仁穆王后の父ある[[金悌男]]に疑いがかけられた。金悌男賜薬に処せられ、永昌大なく光海は庶人(平民)に降格の上、[[江華島]]に流刑にされが即位し。のち江華府使鄭沆の手によって、極端に温度を上げた[[オンドル]]部屋に監禁され、「蒸殺」された。享年8
 
[[1613年]]、[[庶孽党#七庶獄事|七庶獄事]]が起こると、[[北人#歴史|大北派]]の操作によって永昌大君と仁穆王后の父である[[金悌男]]に疑いがかけられた。金悌男は賜薬に処せられ、永昌大君は庶人(平民)に降格の上、[[江華島]]に流刑にされた。のち江華府使鄭沆の手によって、極端に温度を上げた[[オンドル]]部屋に監禁され、「蒸殺」された。享年8。
[[仁祖]]の即位の後に名誉を回復した。墓は[[京畿道]][[安城市 (京畿道)|安城市]]にある。
 
[[仁祖]]の即位後に名誉を回復した。墓は[[京畿道]][[安城市 (京畿道)|安城市]]にある。
 
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