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アッティカ半島の土壌は[[オリーブ]]と[[ブドウ]]、すなわち[[オリーブ油]]と[[ワイン]]の生産に適していた。穀物は魚介類とあわせて食生活の中心となったが、アテナイの穀物資源は不足し、食糧供給のための穀物輸入が常に問題とされた。
=== 初期アテナイ経済 ===
初期のアテナイはギリシアでも後進地域であり、土地は
アテナイが経済的に注目されることになったのは、ソロンの改革以後である。ソロンはアテナイの産業不振の原因をアテナイ市民が商業や工芸の仕事を[[奴隷]]の仕事として卑しんでいるからだと考えて、故国を追われて[[亡命]]先を求める職人や貿易商人をアテナイに招聘できるように[[市民権]]獲得条件を緩和した。また、当時ギリシア最大の商業都市であったアイギナと商圏が重なる事から、アイギナの通貨圏から離脱してコリントス通貨圏に移った。これにより、東方から招き入れた職人達によって陶芸技術がアテナイに持ち込まれ、アテナイが陶器の産地になるとともに、アイギナ商人が及ばないコリントス経済圏に市場を広げる結果となった。
また、続くペイシストラトス時代には[[マケドニア王国|マケドニア]]から来た鉱山技師によってラウリウム銀山の本格採掘が始まった。銀が採れないとされてきたギリシア地域で唯一本格的銀山を保有するアテナイは、これにより独自の通貨([[銀貨]])を生産する。そして食料自給率が推定で約3割から5割と低いアテナイにとって貴重な食料や[[船舶]]の材料である[[木材]]の輸入を可能になり、ギリシア世界の経済で優越
=== ギリシア世界での支配地域拡張 ===
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