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完投主義の最後の光芒と呼べるのが[[桑田真澄]]、[[斎藤雅樹]]、[[槙原寛己]]の「三本柱」を擁していた1989年・1990年の巨人である。両年とも巨人がリーグ優勝を果たしているが、これは[[藤田元司]]監督の先発完投主義によるもので、1990年にはチームで70完投を記録している。
 
このようにながらく続いた日本の完投主義に大きな変化が生じたのは[[1990年代]]中期である。この時期、上記の「三本柱」やそれと同等以上の完投数を記録した中日の[[今中慎二]]の活躍に陰りが見始めたこともあって、セントラル・リーグでは年間150 - 200完投前後だったのが年間100完投前後へと減少した。そればかりだけでなく、パシフィック・リーグにおいても2リーグ分立以降ずっと継続してきた年間200完投以上が、数年のうちに年間100完投前後へ一気に減少したのである。この大きな変化は、大リーグにおける投手起用法が日本プロ野球に導入されたためだと考えられている。すなわち、先発投手の1先発当たり投球数を100前後に抑制する起用法である。1980年代中期ごろから先発投手への負担過多を問題視する意見が唱えられており、1990年代に入るとそうした意見が更に強まった。この風潮を受けて、[[立花龍司]]らのような合理的なトレーニング理論を持った人材が、各チームのコンディショニング・コーチとして採用されると、先発投手に過大な負担をかける完投を必要以上に重視しない野球観がプロ野球に定着した。このため、1990年代中期のわずか数年間で、完投数に劇的な変化が生じたのである。
 
21世紀に入っても、年間完投数はセントラル・リーグでは100完投未満、パシフィック・リーグでは100完投前後で推移している。しかし、[[上原浩治]]や[[黒田博樹]]や[[松坂大輔]]らのように、エースを自負し、完投することに強い思い入れを持つという昔ながらの野球観を有する先発投手も存在している。また、彼らが日本球界を去った後も、セントラル・リーグではリリーフピッチャー重用の傾向もあって完投数の減少が続いているのに対し、パシフィック・リーグでは[[ダルビッシュ有]]や[[涌井秀章]]や[[田中将大]]といったエース格の先発投手には完投を望む考え方が根強く残っている<ref>[http://blog.shueisha.net/sportiva/baseball/index.php?ID=79 なぜセ・リーグはエースが育たないのか?] [[集英社]] スポルティーバ公式サイト (2010年9月13日)</ref>。