「サンドウィッチ伯爵」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[File:Edward Montagu.jpeg|thumb|初代サンドウィッチ伯[[エドワード・モンタギュー (初代サンドウィッチ伯爵)|エドワード・モンタギュー]](サー・[[ピーター・レリー]]画、[[1666年]])]]
初代伯は、著名な[[モンタギュー家]]の一員であり、初代[[ボウトンのモンタギュー・オブ・ボウトン男爵]][[エドワード・モンタギュー (初代モンタギュー・オブ・ボウトン男爵)|エドワード・モンタギュー]]([[モンタギュー公爵]]家の祖)や初代[[マンチェスター伯爵]][[ヘンリー・モンタギュー (初代マンチェスター伯爵)|ヘンリー・モンタギュー]]([[マンチェスター公爵]]家の祖)らの末弟であるサー・[[シドニ・モンタギュー]]の息子であった。陸軍の歩兵士官であったが、[[清教徒革命]]の際に[[円頂党|議会派]]に属したことから第一次[[英蘭戦争]]では海軍の新設称号であるジェネラル・アット・シー(General at Sea)<ref>革命の際、議会派に積極的に加わった提督が殆ど居らず、イングランド共和国では海軍を指揮する人材が不足したため、議会派の大佐クラスの陸軍軍人をジェネラル・アット・シーに任命し、艦隊の指揮をさせた。この制度は王政復古後も暫く続いた。</ref>として[[イングランド共和国]]艦隊を指揮した。
 
[[王政復古]]の際は地方に隠遁していたが、先任のジェネラル・アット・シーであった[[スコットランド王国|スコットランド]]駐留軍司令官の[[ジョージ・モンク (初代アルベマール公)|ジョージ・モンク]]([[:en:George Monck, 1st Duke of Albemarle|George Monck]])に従って王党派に転じ、艦隊を率いて[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]を出迎えた。その功により初代サンドウィッチ伯爵に叙された。初代伯に仕えていた[[サミュエル・ピープス]]はエドワードの隠遁中ロンドンに残り、議会の情勢を報告してエドワードの決断を助けた。そして、ピープスも初代伯の推薦により出世のきっかけをつかんだ。その後、エドワードは第二次英蘭戦争でも艦隊を率いたが、公費乱用の疑惑から転任させられた。第三次英蘭戦争では再び艦隊の指揮を執ったが、[[ソールベイの海戦]]に於いて戦死した。
 
[[エドワード・モンタギュー (第2代サンドウィッチ伯爵)|2代伯]]は初代伯の息子で、[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]選出の[[庶民院]]議員、[[在ポルトガルイギリス大使]]、[[ハンティンドンシャー]]や[[カンブリッジシャー]]の[[統監]]({{interlang|en|Lord Lieutenant}}; [[知事]])を務めた。彼が没すると息子の[[エドワード・モンタギュー (第3代サンドウィッチ伯爵)|エドワード]]が3代伯となった。3代伯は息子よりも長生きしたため、孫の[[ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)|ジョン]]が4代伯となった。
 
[[File:John Montagu, 4th Earl of Sandwich.jpg|thumb|right|第4代サンドウィッチ伯[[ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)|ジョン・モンタギュー]]([[トマス・ゲインズバラ]]画、1783年)]]
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