「有効需要」の版間の差分

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「有効需要の原理」の説明と「有効需要概念」の説明とを分離・整理した。
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経済全体の有効需要の大きさが、国民所得や雇用量など、一国の経済活動の水準を決定するという原理<ref>goo辞書「有効需要の原理」[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/196480/m0u/%E6%9C%89%E5%8A%B9%E9%9C%80%E8%A6%81/]</ref>。非自発的失業の存在は有効需要の不足が原因となる。
 
ケインズは、[[セイの法則]]は所得のうち消費されなかった残りにあたる貯蓄<ref>貯蓄量は[[消費]]性向に依存する。</ref>の一部が[[投資]]<ref>ケインズによれば投資量は[[貨幣]]供給量、[[期待]]利潤率および[[流動性 (経済学)|流動性]]選好に依存する。また、需要側の支払手段である貨幣はつねに[[金利]]や[[流動性選好説|貨幣選好]]など貨幣市場の制約を受ける。</ref>されない可能性を指摘してセイの法則を批判した。<ref>『ジョン・メイナード・ケインズ』美濃口武雄(一橋論叢1990-04-01一橋大学機関リポジトリ)[http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/11054/1/ronso1030400560.pdf]</ref>
 
<ref>『ジョン・メイナード・ケインズ』美濃口武雄(一橋論叢1990-04-01一橋大学機関リポジトリ)[http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/11054/1/ronso1030400560.pdf]</ref>ケインズの診断によれば、古典派の均衡理論では景気が後退すれば資金供給が増え(貯蓄↑)資金需要が減る(投資↓)ため金利は低下するはずであるが、現実の観測では2%を下回らない「慣行的でかなり安定的な長期利子率」と、「気まぐれで高度に不安定な資本の限界効率」が原因となって、不況であるにもかかわらず金利は高止まりし、完全雇用を提供するに足る高い水準の有効需要を維持することは困難であるとする。この原因はおもに通貨のもつ[[流動性 (経済学)|流動性]]に対する人々の選好と、投機を要因とした資本の限界効率の不安定性にあるとする。
 
通貨と財を考量した場合、財が高騰すれば増産することで均衡を達成することは可能であるが、通貨が高騰している(不況などで)さいに通貨は企業家が容易に増産できるものではない、経済が不況に陥ってるときに通貨が「自動的に」増えて利子率を引き下げるような均衡メカニズムは働かない。また財を保有することで商業的に収益をあげることはできても、他方で時間の経過とともに保管料や陳腐化などによる価値の損耗により持越費用がかさみ収益を相殺してしまう可能性がある。通貨には持越費用がかからないので保有され易い。
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==「有効需要」という概念==
古典経済学では、「有効需要effective demand」類似の概念として "effectual demand" という概念がある。たとえば、A.スミスの『諸国民の富』では、「有効需要」effectual demand は、「その商品の自然価格をよろこんで支払う人々の需要」と定義されている<ref>『諸国民の富』岩波文庫、第1巻、pp.203-204.</ref>。
 
古典経済学における「有効需要」が個別の商品について定義されていたのに対し、ケインズでは総需要・総供給という集計量について定義されている。すなわち、ケインズ『一般理論』第3章「有効需要の原理」では、有効需要は、「総需要関数が総供給関数と交叉する点におけるDの値」(塩野谷訳、p.26)と定義され、この定義が「雇用の一般理論の要旨をなす」(同、p.26)ものとされている。しかし、この定義の意味するところは曖昧であり、以下のように、この定義および概念そのものの有効性をめぐっては、以下のごとくケインズ経済学の中でも解釈が分かれている。
 
===教科書的解釈===
教科書的な解釈では、有効需要の原理は、価格調節ではなく主として数量調節を通して機能すると考えている。すなわち、正統派を自認するケインズ経済学は、[[マクロ経済学|マクロ]]的に働く'''数量'''調整を重視する。これは、古典派が短期間の市場調整により'''価格'''が調整され、交換される数量そのものはさほど影響をうけないとする市場均衡理論と対照的である。価格や賃金が調整されないほどの[[短期]]においては、財の数量を調整することしかできないという考えに基づいている(価格や賃金の下方硬直性)と解釈されることもある。ただし仮に賃金(労働価格)が柔軟で伸縮可能なもあったとしてもニュー・その伸縮的な賃金が持続的な完全雇用を維持できるという見解をケインズは否定しており<ref>Keynes [1936]p.267, 邦訳264ペー</ref>、ケイズにおいては総需要も大差総供給均衡点で一致するが、これが完全雇用を伴うのは極限的ケースに限られるとマクロ的に理解されて
 
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しかし、正統派ケインズ経済学では、価格が伸縮的であったとしても、完全雇用均衡は、かならずしも達成されないと考えている。ケインズ自身が、仮に賃金(労働価格)が柔軟で伸縮可能なものであったとしても、その伸縮的な賃金が持続的な完全雇用を維持できるという見解を否定した<ref>Keynes [1936]p.267, 邦訳264ページ</ref>ことを重視している。ケインズにおいては総需要と総供給は均衡点で一致するが、これが完全雇用を伴うのは極限的なケースに限られるとマクロ的に理解されている。
 
===ニュー・ケインジアンの解釈===
ニュー・ケインジアンは、価格が十分速く調整されないことが非自発的失業を生む原因と考えており、なぜ価格が固定的であるかの説明に力を入れている。この立場からは、失業均衡を説明するのに、ケインズの定義した「有効需要」の概念は不要とされている。
 
ケインズ『一般理論』第3章「有効需要の原理」では、有効需要は、「総需要関数が総供給関数と交叉する点におけるDの値」(塩野谷訳、p.26)と定義されている。もしこの交点が均衡点であると考えるなら、「有効需要は、均衡点における総需要である」と定義していることになる。これによれば、均衡の状態のみが問題であり、その点の総需要量を「有効需要」と定義しなおす必要はなく、「総需要」概念のみで十分である。このため[[ニュー・ケインジアン]]たちは、有効需要の概念と原理は不要であると考えるようなっており、アメリカ・ニューケインジアンの教科書からは、effective demand という用語は消えてしまっている。
 
この状況を受けて、日本でも、半数近いマクロ経済学の教科書からは、「有効需要」の概念が消えてしまっている<ref>例として、大滝雅之『貨幣・雇用理論の基礎』勁草書房、2011.</ref>。独自のニューケインジアン的理論により、一時は菅直人首相(当時)の経済学と騒がれた小野善康も、基本的には「有効需要」とう概念を用いていない<ref>小野善康『景気と経済政策』岩波新書、1998では、「有効需要」という用語が数回現れているが、同『不況のメカニズム』中公新書、2007では、需要不足という表現はあっても「有効需要」は現れない。第2章「失業と需要不足」では、『一般理論』第3章が解説されているが、ここにも「有効需要」という言葉は触れられてもいない。</ref>。
 
<!--===ニューケインジアンによる「有効需要」概念解釈否定===
ケインズ『一般理論』第3章「有効需要の原理」では、有効需要は、「総需要関数が総供給関数と交叉する点におけるDの値」(塩野谷訳、p.26)と定義されている。もしこの交点が均衡点であると考えるなら、「有効需要は、均衡点における総需要である」と定義していることになる。このようにケインズの定義は曖昧であったた。このためニュケインジアンたちは、有効需要の概念と原理は不要であると考えるようなっており、アメリカ・ニューケインジアンの教科書からは、effective demand という用語は消えてしまっている。この状況を受けて、日本でも、半数近いマクロ経済学の教科書からは、「有効需要」の概念が消えてしまっている<ref>例として、大滝雅之『貨幣・雇用理論の基礎』勁草書房、2011.</ref>。独自のニューケインジアン的理論により、一時は菅直人首相(当時)の経済学と騒がれた小野善康も、基本的には「有効需要」とう概念を用いていない<ref>小野善康『景気と経済政策』岩波新書、1998では、「有効需要」という用語が数回現れているが、同『不況のメカニズム』中公新書、2007では、需要不足という表現はあっても「有効需要」は現れない。第2章「失業と需要不足」では、『一般理論』第3章が解説されているが、ここにも「有効需要」という言葉は触れられてもいない。</ref>。
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==総需要管理政策==