「ダドリー・ムーア」の版間の差分

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| 生月 = 4
| 生日 = 19
| 出生地 = {{flagicon|GBR}} [[ロンドン]] [[ダゲナム]]
| 没年 = 2002
| 没月 = 3
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'''ダドリー・ムーア'''(Dudley(Dudley Stuart John Moore, [[大英帝国勲章|CBE]], [[1935年]][[4月19日]] - [[2002年]][[3月27日]])は、[[アカデミー賞]]にノミネートされ、[[ゴールデングローブ賞]]を受賞した、[[イギリス]]の[[俳優]]、[[コメディアン]]、[[ミュージシャン]]である。
 
ムーアの名が世に知られたのは、1960年代初期に『[[Beyond the Fringe]]』の4人の[[脚本]]兼出演者のうちの一人としてであった。それからさらに[[ピーター・クック]]と結成していた二人組の一方として徐々に有名になった。喜劇俳優として非常に有名になったのは、[[ボー・デレク]]と組んだ『[[テン (映画)|テン]]』や、『ミスター・アーサー』といった1970年代後半から1980年代前半にかけての[[ハリウッド映画]]での成功のおかげであった。
[[喜劇]]俳優として非常に有名になったのは、[[ボー・デレク]]と組んだ『[[テン (映画)|テン]]』や、『ミスター・アーサー』といった1970年代後半から1980年代前半にかけての[[ハリウッド映画]]での成功のおかげであった。
 
'''カドリー・ダドリー''' (Cuddly Dudley) としてもよく知られている。
 
== 若年期 ==
ムーアはイギリスの[[エセックス]]州ダゲナムで鉄道電気技師の息子として生まれた。労働者階級に属する両親は、子供たちにあまり愛情を示さなかった(そのことについては彼の姉が公表している))。5フィート2インチ半(1.59メートル)と目立って背が低かった。また生まれつきの[[内反足]]のために長期の加療を必要とした。そのことと背が低いこととを合わせて、他の子供たちにからかわれた。いじめられる辛さから逃れるため、6歳のときコーラス隊に入り、[[ピアノ]]や[[ヴァイオリン|バイオリン]]を始めた。ピアノとオルガンの腕はめきめきと上達し、14歳のときには教会の結婚式で[[パイプオルガン]]を演奏していた。また、親切な教師ピーター・コークが音楽奨学金を提供してくれたおかげでダゲナム郡立高校に通うことができた。コークはムーアにとって無二の親友となり、[[1994年]]まで交際があった
5フィート2インチ半(1.59メートル)と目立って背が低かった。また生まれつきの[[内反足]]のために長期の加療を必要とした。そのことと背が低いこととを合わせて、他の子供たちにからかわれた。いじめられる辛さから逃れるため、6歳のときコーラス隊に入り、[[ピアノ]]や[[ヴァイオリン|バイオリン]]を始めた。ピアノとオルガンの腕はめきめきと上達し、14歳のときには教会の結婚式で[[パイプオルガン]]を演奏していた。また、親切な教師ピーター・コークが音楽奨学金を提供してくれたおかげでダゲナム郡立高校に通うことができた。コークはムーアにとって無二の親友となり、[[1994年]]まで交際があった。
 
[[オクスフォード大学]]モードリン校で音楽と作曲を学び(オルガン専攻であった)、[[オクスフォード・レビュー]]において[[アラン・ベネット]]と共演した。このときベネットはムーアを『Beyond the Fringe』のプロデューサーに推薦したが、このコメディは多くの人から『[[空飛ぶモンティ・パイソン]]』の先駆けとなった作品と見られている。『Beyond the Fringe』は1960年代の風刺ブームの嚆矢であった。イギリスで大ヒットした後、舞台を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に移し、そこでもまたヒットした
『Beyond the Fringe』は1960年代の風刺ブームの嚆矢であった。イギリスで大ヒットした後、舞台を[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に移し、そこでもまたヒットした。
 
大学時代、ムーアは[[ジャズ]]に強く興味を持つようになり、すぐに名ジャズピアニスト、作曲家となり、[[ジョン・ダンクワース]]や[[クレオ・レイン]]といった一線のミュージシャンたちとともに活動した。1960年にはダンクワースのバンドを『Beyond the Fringe』に参加させた。その後、高く評価されることになる「ダドリー・ムーア・トリオ」(ドラムは[[クリス・カラン]]、ベースは[[ピート・マガーク]]後に[[ピーター・モーガン]])を1960年代に結成した。1963年にはDeccaレーベルより、トリオによる『The Other Side of Dudley Moore』を発表。これは「[[私の青空 (歌)|My Blue Heaven]]」、「Lysie Does It」、「Poova Nova」、「Take Your Time」、「Indiana」、「Sooz Blooz」、「Bauble, Bangles and Beads」、「Sad One for George」、「Autumn Leaves」という曲を含んだモノラルのLP盤であった。トリオはイギリスのテレビに定期的に出演し、また数多くのレコーディングを行って、[[ピーター・クック]]のクラブ「The Establishment」にも長期間出演していた。
[[Category:2002年没]]
[[Category:イングランドの俳優]]
[[Category:イギリスのミュージシャン]]
[[Category:イギリスのピアニスト]]
[[Category:イギリスのコメディアン]]
[[Category:イギリスのジャズ・ミュージシャンピアニスト]]
[[Category:各国のジャズ・ピアニスト作曲家]]
[[Category:グラミー賞受賞者]]
[[Category:ゴールデングローブ賞受賞者]]
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