「ドリームジャーニー」の版間の差分

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|説 = 2007年5月27日 東京競馬場
|英 = Dream Journey
|漢 = {{lang|ch|夢之旅}}
|性 = [[牡馬|牡]]
|色 = [[馬の毛色|鹿毛]]
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|生 = {{生年月日と馬齢|p=0|2004|2|24}}
|抹 = [[2011年]][[6月30日]]
|死 = (現役種牡馬)
|父 = [[ステイゴールド]]
|母 = [[オリエンタルアート]]
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|調 = [[池江泰寿]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])
|績 = 31戦9勝
|金 = 8億4797万3000[[ (通貨)|円]]
|鞍 = {{color|red|GI}}:[[朝日杯フューチュリティステークス]](2006年)<br />[[宝塚記念]]、[[有馬記念]](2009年)<br />{{color|blue|GII}}:[[大阪杯|産経大阪杯]](2009年)<br />{{color|blue|JpnII}}:[[神戸新聞杯]](2007年)<br />{{color|green|GIII}}:[[朝日チャレンジカップ]](2008年)<br />{{color|green|JpnIII}}:[[小倉記念]](2008年)
}}
'''ドリームジャーニー'''((''{{lang-en-short|Dream Journey}})[[中国語|]]:{{lang|ch|夢之旅}}'')は、[[日本]]([[中央競馬]])の[[競走馬]]、[[種牡馬]]である。主な勝ち鞍は[[2006年]]の[[朝日杯フューチュリティステークス]]、[[2009年]]の[[宝塚記念]]、[[有馬記念]]。馬名の意味は『夢のような旅路』。父・[[ステイゴールド]]の香港表記が『{{lang|zh|黄金旅程}}』と表されることからの連想。
 
== 戦績 ==
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3歳の初戦は[[弥生賞]]から。[[シンザン記念]]を勝った[[アドマイヤオーラ]]に続く2番人気になった。レースは中団から進み、最後の直線で伸びてくるも、進路を妨害される不利を受けたことも影響し、3着に敗れた。[[皐月賞]]では8着に敗れ、続く[[第74回東京優駿]]では、直線で鋭い伸び脚を見せたものの5着に敗れ、休養に入った。
 
秋は[[神戸新聞杯]]から始動し、父のステイゴールドや母の父の[[メジロマックイーン]]にも騎乗経験がある[[武豊]]に乗り替わっての出走となった。レースでは、スタートから後方に位置すると、最後の直線では前を行く馬をまとめて後方から差しきり、重賞2勝目を収めた。続いて[[第68回菊花賞]]に2番人気で出走。道中は最後方から進み、3コーナーあたりから進出を開始するものの、直線では前を行く馬を捉えることができず5着に敗れた。
 
なお、第1希望で[[香港ヴァーズ]]、第2希望で[[香港カップ]]に予備登録を行っていたが、[[馬インフルエンザ]]の影響で検疫期間が1ヶ月かかることから[[10月23日]]に回避することが発表された。菊花賞後は[[グリーンウッド・トレーニング]]へ短期放牧に出され、帰厩後に[[鳴尾記念]]に出走。初の単勝1番人気に支持されるものの、直線で伸びきれず8着に敗れた。レース後の[[12月11日]]に[[島上牧場]]経由でグリーンウッドへリフレッシュ放牧に出された。
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[[11月1日]]の[[天皇賞#天皇賞(秋)|天皇賞(秋)]]では、[[ウオッカ]]、[[シンゲン]]、[[オウケンブルースリ]]に次ぐ4番人気で出走。最後方あたりからレースを進めたが、0.8秒差の6着に敗れた。
 
[[12月27日]]、[[第54回有馬記念|第54回有馬記念(グランプリ)]]に出走。最初の900m900mが52.2秒のハイペースで逃げる中、最後方待機策から徐々に進出し、直線で[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]を外からかわして優勝。父ステイゴールド、母父メジロマックイーンが共に敗れていた競走を制した<ref>ステイゴールドは1998年3着、メジロマックイーンは1991年2着。</ref>。
 
なお、春秋のグランプリ制覇はグレード制度導入以降、[[イナリワン]]([[1989年]])、[[メジロパーマー]]([[1992年]])、[[グラスワンダー]]([[1999年]])、[[テイエムオペラオー]]([[2000年]])、[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]([[2006年]])に続いて6頭目となった<ref>グレード制施行以前を含めると、[[リユウフオーレル]]([[1963年]])、[[シンザン]]([[1965年]])、[[スピードシンボリ]]([[1970年]])の3頭を加えて史上9頭目となる。</ref>。出走時馬体重426kgは2006年ディープインパクトの438kgを下回り、グレード制導入以降では最も軽い優勝馬となった。また、管理調教師の[[池江泰寿]]の父、[[池江泰郎]]もディープインパクトで春秋グランプリを制覇しており、史上初の春秋グランプリ親子調教師制覇となった。
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=== 6歳(2010年) ===
[[2010年]][[2月20日]]の[[京都記念]]から始動。中団のやや後ろからレースを進め、直線でじわじわと末脚を伸ばすもののブエナビスタの3着に敗れた。[[4月4日]]の産経大阪杯では単勝1.2倍の圧倒的1番人気で出走。スタートで出遅れて後方からレースを進め、4コーナーで捲り気味に進出して直線で大外から追い上げたが好位から抜け出した[[テイエムアンコール]]を捉えきれず3着に敗れた。
 
その後は[[天皇賞#天皇賞(春)|天皇賞(春)]]を目指していたが、[[4月24日]]の朝の追い切り後に右前脚の球節に腫れが見られたため、大事をとって回避することになった。骨やけんに異常はなく、症状は軽かったという。その後、連覇がかかった[[6月27日]]の宝塚記念に4番人気で出走、道中後方からレースを進め最後の直線で懸命に追い込んでくるも届かず4着に敗れた。
 
秋緒戦は[[9月26日]]のオールカマーに出走。スタートで出遅れるも徐々にポジションを上げ、最後の直線で追い上げるも[[シンゲン]]の2着だった。その後、出走予定であった秋の天皇賞を脚部不安で回避した。[[12月26日]]の[[第55回有馬記念]]ではスタートで出遅れ、そのまま後方でレースを進めたがスローペースの中13着と大敗した。
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|style="text-align: right;"|[[1月25日|25]]
|中山
|[[アメリカジョッキークラブカップ|アメリカJCCAJCC]]
| {{color|blue|GII}}
|13
424 ⟶ 425行目:
|style="text-align: right;"|[[4月5日|5]]
|阪神
|[[大阪杯|産経大阪杯]]
| {{color|blue|GII}}
|12
550 ⟶ 551行目:
|style="text-align: right;"|[[4月4日|4]]
|阪神
|産経大阪杯
| {{color|blue|GII}}
|12
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|style="text-align: right;"|[[4月3日|3]]
|阪神
|産経大阪杯
| {{color|blue|GII}}
|15
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}}
;主な近親
*全弟の[[オルフェーヴル]]は史上7頭目の[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]](史上7頭目)、有馬記念、宝塚記念など)
*このほか半妹にアルスノヴァ(2005年生、父・[[ダンスインザダーク]]、3戦2勝)にグッドルッキング(2006年生、父・[[クロフネ]])、半弟にジャポニズム(2007年生、父・[[ネオユニヴァース]])がいる。
*4代母Dhowまでからは目立った実績のある馬は輩出されていないが、6代母Dynamoまで遡るとそこから広がる牝系から以下の馬が輩出されている。