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市域は[[フェッロヴィーエ・デッロ・スタート]]の[[ペルージャ駅]]周辺と、城壁の内部([[ペルージャ大学]]やバスターミナルがある)などから成る。
 
==歴史==
ペルージャは[[ウンブリ人]]の居住区であったが、最初に文献に登場したのは、[[エトルリア人]]の12の連合市の一つであるPerusiaとしてである。
紀元前216年と205年に、ローマの援軍として[[第二次ポエニ戦争]]に加わった。
ランゴバルド人の時代、ペルージャは[[トゥーシア]]の主要都市の一つと呼ばれていた。9世紀、ペルージャは教皇に屈服し、[[カール大帝]]と[[ルートヴィヒ1世 (フランク王)|ルートヴィヒ1世]]もこれに合意した。しかし11世紀までに、[[コムーネ]]は自治を主張し、その後何世紀もの間、ペルージャは独立状態を維持した。その間、[[シエナ]]、[[アッシジ]]、[[アレッツォ]]、[[フォリーニョ]]などの近隣諸国と、何度も戦争状態となった。
1797年、フランス軍に占領された。1789年2月4日、ペルージャを首都とし、フランスの[[三色旗]]を国旗とする[[ティベリーナ共和国]]が誕生。1799年にローマ共和国に併合される。
1832、1838、1854年に、ペルージャを地震が襲った。
 
== コムーネの行政 ==