「アルフォンソ3世・デステ」の版間の差分

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[[チェーザレ・デステ]]と妃[[ヴィルジニア・デ・メディチ|ヴィルジニア]]の長男として、[[フェラーラ]]で生まれた。1613年、[[ルッカ]]との戦いに加わり、1617年には父チェーザレの公位継承に異議を唱えたエルコレ・ペポリ伯の暗殺で第一の役割を果たした。
 
1608年、[[イザベッラ・ディ・サヴォイア]]([[サヴォイア家|サヴォイア公]][[カルロ・エマヌエーレ1世]]の娘)と結婚。心底イザベッラを愛していた彼は、1626年に妻に先立たれてから聖職に就くことを考え出した。父チェーザレが1628年に亡くなり公位を継承するが、翌1629年7月、[[サッスーロ]]の城で自分の退位を宣言。9月8日に、彼は[[カプチン派]]の修道士となり、ジャンバッティスタ・ダ・モデナ僧と改名した。
 
アルフォンソは、公国が[[黒死病]]で大打撃を受けた1630年から1631年にかけ、瀕死の民衆の説教師及び介助者として著名な存在だった。彼はのちモデナへ戻るが、彼のまじめくさった講話に対する宮廷の反応は冷ややかなものだった。彼は、嫡子[[フランチェスコ1世・デステ]]の寄進した、[[カステルヌオーヴォ・ディ・ガルファニャーナ]]の修道院に引退し、そこで1644年に死んだ。
 
== 子女 ==
妻との間に9男5女の14人の子女をもうけ、うち8人(6男2女)が成人した。
*チェーザレ(1609年 - 1613年)
*[[フランチェスコ1世・デステ|フランチェスコ]](1610年 - 1658年) - モデナ公
*オビッツォ(1611年 - 1644年) - モデナ司教
*カテリーナ(1613年 - 1628年)
*チェーザレ(1614年 - 1677年)
*アレッサンドロ(1615年)
*カルロ(1616年 - 1679年)
*[[リナルド・デステ (1618-1672)|リナルド]](1618年 - 1672年) - 枢機卿、レッジョ司教
*マルゲリータ(1619年 - 1692年) - 1647年、グアスタッラ公[[フェランテ3世・ゴンザーガ|フェランテ3世]]と結婚
*ベアトリーチェ(1620年)
*ベアトリーチェ(1622年 - 1623年)
*フィリベルト(1623年 - 1645年)
*ボニファツィオ(1624年)
*アンナ(1626年 - 1690年) - 1656年、ミランドラ公アレッサンドロ2世・ピコ・デッラ・ミランドラと結婚
 
{{先代次代|[[フェラーラとモデナの君主一覧|モデナ公]]|[[1628年]] - [[1629年]]|[[チェーザレ・デステ|チェーザレ]]|[[フランチェスコ1世・デステ|フランチェスコ1世]]}}