「ガリア・アクィタニア」の版間の差分

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==概要==
もともとは[[ケルト人]](とくに[[ガリア人]])が住み、南方のローマとは違う文化圏であった。アクィタニアの名は現地の部族アクィタニ族に由来する。そこに[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]が侵攻、ローマの属州とする([[ガリア戦争]])。[[アウグストゥス]]の治世に[[皇帝属州]]となる。皇帝の命を受けた[[プロプラエトル]]は軍隊を従えず、任地に赴いた。アクィタニア属州の州都はメディオラヌム・サントヌム(Mediolanum Santonum、現:[[サント]])に置かれた。
[[Image:Map Gallia Tribes Towns.png|thumb|left|紀元前58年の属州ガリア・アクィタニア]]
[[ディオクレティアヌス]]の治世にはガリア・アクィタニアは、'''アクィタニア・プリマ'''(Aquitania Prima)、'''アクィタニア・セクンダ'''(Aquitania Secunda)、'''アクィタニア・テルティア'''(Aquitania Tertia)の3つに分割された。
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