「細川潤次郎」の版間の差分

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== 来歴・人物 ==
{{出典の明記|date=2012年6月|section=1|ソートキー=人1923年没}}
土佐藩に仕える[[儒学者]]の家に生まれ、藩校でも優秀な成績を修めたが、幕末の緊張する内外の情勢に関心を持ち、[[長崎]]で[[蘭学]]を学び、続いて[[江戸]]の[[海軍操練所]]でも勉学に励んだ。また、この時期に[[中浜万次郎]]の知遇を得て[[英語]]も併せて学ぶようになった。帰国後、[[吉田東洋]]にその才覚を認められて[[山内容堂]]の侍読及び藩校教授として洋学を教えた。また、[[福岡孝弟]]らとともに土佐藩の新しい藩法である「海南政典」・「海南律例」の編纂に参加する。