「スキャットマン・ジョン」の版間の差分
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メジャーデビューアルバム『[[スキャットマンズ ワールド]]』は日本やヨーロッパ諸国など全世界で600万枚以上を売り上げ、各国のチャートでNo.1を飾る。自身の障害である[[吃音症]]を逆手に取った、模倣が困難な[[スキャット]]と、1回に4つ近く音の調子を変えるという珍しい歌唱法(このテクニックは古い[[ヒンドゥー教]]の喉で歌う物から取り入れた)を用い、唯一のジャンル『テクノスキャット』を開拓した。
[[日本]]で1996年度ベスト・ニュー・インターナショナル・
[[ドイツ]]でビッゲスト・クロスオーバー・アーティストECHO賞を受賞。
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== 吃音者としての経歴 ==
彼は吃音から来るストレスをごまかすため[[アルコール]]や[[ドラッグ]]に溺れて行くようになる。しかし、1987年のある日、仲間のミュージシャンや友人の[[ジョー・フ
また、1997年にはISA(国際吃音者連盟)に対して送ったメッセージの中で、
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彼は後に雑誌のインタビューで「あの頃は、殆ど誰とも話せなかった。そんな僕にコミュニケーションの手段を与えてくれたのはピアノだった。それで僕はホテルやカフェのジャズ・バンドでピアノを弾いていたんだ。でも僕は、しゃべることが怖かったのでピアノの後ろに隠れるように演奏していた。僕が口を開けたらきっと変に思われるだろうと考えていた。すごく恥ずかしくて内気だった。」 と当時を回想している。
しかし、その後ジョンは自身の[[吃音]]が曲を盛り上げるのに素晴らしい効果を発揮
1984年の初頭、彼は「意味の無い言葉ならどもっても問題が無いのではないか」と考え[[スキャット]]を取り入れた歌唱法を演奏に盛り込もうと考えた。
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この日を境にジョンは自分の音楽に自信を持てるようになり、「スキャットすることで吃音から自由になれたんだ」と彼は語っている。<ref name="b">1stアルバムScatman's worldの解説より</ref>
前記の友人[[ジョー・フ
== メジャーデビュー ==
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「もしあなたが、現時点で自己受容をしたければ、自己受容が最も優先される」
「この会議や、メールでの我々の議論から得た結論から、自己受容も、 技術も両方とも特有の意見であり、現在、その人が回復のどの段階にいるかによるのではないか。
もし、ある吃音者が、他の吃音者のための答えをもっていると思うなら、 その吃音者に対しても、また他のもっと多くの吃音者に対しても、不当に扱っていることになるのかもしれない。 心を開くことと、他の意見を尊重することは、私たち吃音者全員が心の安定を得るのに不可欠である。 私たちひとりひとりの通る道は違っているし、それゆえに、尊重されるべきである。」
「吃音者の数だけ、回復についての意見がある。」
と結論を述べた。<ref name="c">月刊情報紙 『Stuttering Now』 1997.4.19 No.32より</ref>
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