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'''オスピシオ・カバーニャス'''(Hospicio Cabañas)は、[[メキシコ]]の[[ハリスコ州]][[グアダラハラ (メキシコ)|グアダラハラ]]にある[[孤児院]]および[[病院]]の複合施設である。[[スペイン語圏アメリカ]]における最も歴史が古く、規模の大きい総合病院であり、1997年、文化遺産として[[世界遺産]]に登録された。
 
[[1791年]]、グアダラハラ司教により、感化院、病院、孤児院、救貧院の機能を統合する複合施設として設立された。名前の由来は、[[1796年]]にグアダラハラ管区に任命されたホアン・ルイズ・デ・カバーニャスにある。[[メキシコ・シティ]]出身の高名な[[建築家]]である、[[マニュエル・トルサ]]が設計に携わった。
 
トルサの設計は、[[パリ]]にある[[ゴシック建築|ゴシック様式]]の[[オテル・デ・ザンヴァリッド]]や、[[マドリード]]近郊の[[エル・エスコリアル修道院]]などに準拠した、[[新古典主義建築|新古典様式]]に分類される。建物は164[[メートル]]×145メートルの巨大な長方形を形作っており、一階建てで高さは7.5メートルにも達する。チャペルはその倍以上の高さを備えつつ、ドームの高さは32.5メートルである。これらの一連の建物は「病人、年配の人、子供たちが容易に行き来できるように」[http://whc.unesco.org/archive/advisory_body_evaluation/815.pd]単一階にすべて形成されている。
 
[[1823年]]のカバーニャスの死後も、建造工事は1829年まで続いた。[[19世紀]]半ばには兵舎として使用されていた時期もあったものの、本施設は20世紀に入っても正常に稼動を続け、家のない子供たちを多数受け入れた。1980年、カバーニャス文化協会がその提携する美術、工芸の学校とともに入居して来たため、その機能を停止した。内部の装飾の見どころは、チャペル内に位置する、[[メキシコ美術]]の巨匠、[[ホセ・クレメンテ・オロスコ]]の手による、50以上の[[フレスコ画]]や天井画廊があげられる。その中でも、彼の最高傑作である、天井に描かれた『炎の人』(1936年-1939年)は圧巻である。