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冨士信夫
[[正論の会]]顧問。歴史家。東京裁判(極東国際軍事裁判)研究家。
[[大正6年]][[富山県]]生。[[昭和13年]]海軍兵学校卒業。昭和14年海軍練習航空隊飛行学生。昭和16年霞ヶ浦航空隊司令承命服務。[[昭和19年|19年]]海軍少佐。[[昭和20年|20年]]年台湾第29航空戦隊参謀、[[昭和21年|21年]]第2復員省臨時調査部勤務。以後、法廷係として極東国際軍事裁判(東京裁判)のほとんどを傍聴。
著書
『裁きの庭に通い続けて』(冨士信夫 1986年)
『極東
『戦争裁判関係死亡者名簿』(冨士信夫 1987年)
『南京大虐殺はこうしてつくられた』▼
『私の見た東京裁判(上・下)』(講談社学術文庫 1988年 上記『裁きの庭に通い続けて』の改題)
『こうして日本は侵略国にされた』など。▼
『東京裁判は証言する(上・下)』(閣文社 1991年)
▲『南京大虐殺はこうしてつくられた』(展転社 1995年)
[[平成17年]][[1月24日]]
[[Category:歴史家|ふしのふお]]
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