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===プロ入り後===
{{by|2000年}}、入団当初は「長打力を秘めた、走攻守三拍子揃った選手」として、「ポスト[[池山隆寛]]」が球団からの期待だった。しかし選手生命も危ぶまれた頭部[[死球]]などの事故が重なったため、入団後しばらくは二軍で[[打率]]1割台から2割台前半という成績が続いた。{{by|2001年}}も、一軍に帯同して[[オープン戦]]初出場こそ果たすが結果を残せず、二軍でも打率.143と振るわず一軍昇格はならかった。この期間、[[野村克也]]前監督が導入したID野球を理解せずコーチの指導も表面しか聞けていなかったと振り返っている<ref name="週刊ベースボール2009年7月27日号" />。
 
{{by|2002年}}7月3日にイースタンの試合で頭部に死球を受け、約3週間戦線離脱した。この間、自分の野球について考え、[[荒井幸雄]]コーチと相談しつつ、バットを短く持つスタイルへの変化に取り掛かった。9月12日に故障の[[宮本慎也]]に代わって初の一軍登録を受けると、翌日の9月13日、対[[横浜ベイスターズ]]戦、途中出場からの打席で[[千葉英貴]]から、プロ野球史上44人目となるプロ初打席初[[本塁打]]という華々しいデビューを飾った。この時、野口のバットはツーグリップほど握りを空けていた<ref name="週刊ベースボール2009年7月27日号" />。