「ナビス戦争」の版間の差分

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Tantalos (会話 | 投稿記録)
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ナビスは、解放奴隷や残った主だったスパルタ住民に土地を与え、[[デモス]](正式なスパルタ市民)の裕福な家系や亡命していたスパルタのエリートの子女・未亡人(中にはナビスの命令で殺害された者もいたという)を妻として分け与えた<ref name="Green302">Green, ''Alexander to Actium: The Historical Evolution of the Hellenistic Age'', 302</ref>。
 
ポリュビオスは、ナビスが資産を分け与えたこれらの住民は「人殺し」、「強盗」、「スリ」、「追いはぎ」といった類のならず者ばかりであったと記している<ref name="Polybius 13.6">[[ポリュビオス]] [http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?lookup=Plb.+13.6 13.6]</ref>。
 
クレオメネースやマカーニダースらの治世の下で、スパルタで伝統的なリュクルゴスによる体制は既に意味を失い、元々傭兵であった集団がスパルタにおいても大きな力を握っていた。ナビス自身も傭兵との繋がりは強く、ナビスと連携するクレタ人傭兵に対してはスパルタ領内に海上部隊の拠点を構えることを許可しており、クレタ傭兵はこの拠点を根城にして傭兵は神殿への襲撃や強盗などの[[海賊]]行為を働き、逃げ込み場所ともなった<ref name="Polybius 13.8">ポリュビオス [http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?lookup=Plb.+13.8 13.8]</ref>{{refn|group=Note|name=cnoteδ|海賊は、物資を海上輸送している貿易船への襲撃だけでなく、一般住民を捕らえ、奴隷として売り払うことを狙って沿岸の植民地に対する襲撃も行う、いわば水陸両面で活動していた。ナビス戦争と同時期を生きたローマの劇作家[[プラウトゥス]]は、ポエヌルス(Poenulus)による襲撃のような結果であった、と描いている。<ref>{{cite web |url=http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus%3Atext%3A1999.02.0106;query=toc;layout=;loc= |title=Poenulus |accessdate=2007-01-12 |work=Poenulus |author=Plautus}}</ref>}}。
 
ナビス軍はクレタ傭兵やクレタ兵が組織した海賊と連携して機会をうかがい、余裕の無い時でさえ、利益の見込める仕事には漕ぎ手として関与した。しかしながら、ナビスがクレタ傭兵と組んで、ギュティオンを拠点にして制海権を拡大させようとするこの行為は、ペルガモンやロドスなどのエーゲ海沿岸の国家、そして共和政ローマにとって見過ごすことができないものであった<ref name = "William Smith"/>{{refn|group=Note|傭兵がギリシアにおける戦闘で一般化したのは紀元前4世紀前半の[[コリントス戦争]]の頃からとされる<ref>[[#古山他|古山他]] p.79</ref>スパルタは傭兵の活用で[[アテナイ]]や[[テーバイ]]などに比べて積極的であったことで知られる。ギリシアの傭兵で著名なのは弓術に長けたクレタ兵であり、クレタ弓兵は[[アレクサンドロス3世]]の[[ペルシア]]遠征などでも活躍した他、[[クセノポン]]の著作[[アナバシス]]の中にも記述が見られる<ref>[[クセノポン]] [[wikisource:Anabasis/Book_1/Chapter_2|1.2]]</ref>。なお、ナビスはクレタ傭兵を活用するだけでなく、クレタ島内にスパルタ軍の拠点を構築するなど密接に連携していた<ref name="Polybius 13.8"/><ref name = "Mommsen 2.88">モムゼン [http://italian.classic-literature.co.uk/history-of-rome/03-from-the-union-of-italy-to-the-subjugation-of-carthage-and-the-greek-states/ebook-page-88.asp 2.88]</ref>。ポリュビオスは僭主制の国家(スパルタ)が傭兵を重用する理由について、僭主制は領土的な拡大に対する野心が[[直接民主制|民主制]]国家(アテナイ他)に比べてより大きく、戦闘機会も多いことから傭兵の助力を必要とするケースが多くなること。また、敵対勢力も多いことから、僭主制維持のためにも傭兵の武力が必要であることを挙げている<ref name="Polybius 11.14">ポリュビオス [http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?lookup=Plb.+11.14 11.14]</ref>。}}。
 
=== ナビス、メッセニア侵攻 ===
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ナビスは講和条約に基づいて、アルゴス、メッセニア、クレタ島の諸都市およびラコニア沿岸都市の領有権を放棄(これら諸都市との同盟を結ぶことも禁じられた)した<ref name = "Mommsen 2.98"/>。アルゴスはアカイア同盟への再加盟が決まり、ラコニア沿岸都市はアカイア同盟の保護下に置かれた<ref name = "Holleaux191"/>。スパルタ海軍の艦船についても小型の2隻を除いた残り全てをスパルタの支配から外れたラコニア沿岸都市へと譲渡された<ref name = "Mommsen 2.98"/>。また、ナビス自身の息子アルメナス(Armenas)を含む5人の人質をローマに引き渡した<ref name="Holleaux191">Holleaux, ''Rome and the Mediterranean; 218-133 B.C", 191</ref> <ref name = "Livy 34.35"/><ref name = "Mommsen 2.98">モムゼン [http://italian.classic-literature.co.uk/history-of-rome/03-from-the-union-of-italy-to-the-subjugation-of-carthage-and-the-greek-states/ebook-page-98.asp 2.98]</ref>。
 
ナビスは[[クレタ島]]の諸都市から守備部隊を撤退させて、スパルタの軍事力を増強させていた社会的・経済的な政策を撤回しなければならかった<ref name = "Livy 34.35"/><ref name = "Cartledge and Spawforth76"/>。
 
フラミニヌスがナビスをスパルタ王位から排除しなかった理由について、リウィウスは「スパルタが海から途絶された内陸国となり、効果的な力を失ったとしても、ローマにとっては成長しているアカイア同盟に対する対抗者としての独立したスパルタの存在を欲したことによる」とし<ref name = "Livy 34.35"/>、[[テオドール・モムゼン]]も同様の見解を示している<ref>モムゼン [http://italian.classic-literature.co.uk/history-of-rome/03-from-the-union-of-italy-to-the-subjugation-of-carthage-and-the-greek-states/ebook-page-99.asp 2.99]</ref>。
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===ナビス暗殺===
スパルタ軍がアカイア同盟との戦いに敗れ、軍事力が弱体化しため、ナビスは[[アイトリア同盟]]に助力を訴えた<ref name="William Smith">[[#William Smith|Smith]] [http://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus%3Atext%3A1999.04.0104;query=id%3D%2312514;layout=;loc=]</ref>。
 
アイトリア同盟は、アレクサメヌス(Alexamenus)なる人物を指揮官とする1,000の騎兵部隊をスパルタへ派遣したが、ナビスが軍の教練を視察していた際にアレクサメヌスがナビスを批判し、ナビスを槍で自ら刺し殺した([[紀元前192年]])<ref name = "Livy 35.35"/><ref name = "Plutarch-ph 15"/> 。