「大雪丸 (初代)」の版間の差分

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|乗客定員||colspan="2"|934名 (新造時)
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|貨物積載量||colspan="2"|貨車 1819
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|姉妹船||洞爺丸・羊蹄丸・摩周丸
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車載客船としての基本構造は1924年に建造された[[翔鳳丸]]型の準じながらも、輸送力増強と設計期間短縮のため、[[第五青函丸]]以降の貨車渡船である[[戦時標準船|W型戦時標準船]]の船図の船首フレアーを小さくしたH型船の船図を流用し<ref>山本煕 車両航送p259 日本鉄道技術協会1960</ref>、二重底に変更するなど平時仕様で建造された。垂線間長113.2mでH型船と同一で、[[翔鳳丸]]型に比べ全長が約9m延長され118.7mとなり、総トン数も3400トン級から3800トン級へと大型化された。船尾の車両積込口は開口した仕様のまま引き継がれた。
 
旅客定員は翔鳳丸型の895人から1144人<ref>青函連絡船栄光の航跡p370 北海道旅客鉄道株式会社1988</ref>に増やすため、車両甲板両側中2階の、翔鳳丸型では幅の狭い暴露甲板であった下部遊歩甲板を拡幅し舷側外板で囲い、大型の窓を多数つけ3等船室とし、3等出入口、3等食堂、3等椅子席を設置した。このため、車両甲板の線路数は、翔鳳丸型の3本から2本に減少した。車輌積載両数は寝台車4両、手小荷物車2両、郵便車1両の計7両であった。これはワム1819両相当で、翔鳳丸型よりワム76両減で、青函航路の車両渡船としては最小の積載両数となった[2]
 
3等船室はこのほか、翔鳳丸型同様に車両甲板下の第二甲板のボイラー室とタービン室の前後に畳敷き雑居室が設けられた。